就職・転職・起業を考えている方へ贈る、元日産自動車人事部長からのメッセージ

自分のキャリアや今後の仕事人人生を考えるとき、この考え方があったから何とかなったのかな?と感じています。

今回は私が日産自動車を辞めた理由ということをテーマに、話をさせていただこうと思います。

そのきっかけとなったのは、私が開設しているYouTubeチャンネル賢者の人事です。

人事の話と言えば人事異動や昇格・昇給、ポジションが上がったといった話が多く、正直あまり人気のトピックではありません。

しかしそれでも、「チャンネル登録は少なくてもコツコツとやっていこう」という思いでチャンネルを開設し、動画のアップを続けてきました。

おかげさまで、YouTube上にあるチャンネル全体の上位15%に相当するチャンネル登録者数となるに至り、それに伴って動画へのコメントもいただくようになった次第です。

そのコメントの中には質問形式で書いてくださる方もおり、その中の一つに「『なんで日産自動車を辞めたのか』ということと、『日産自動車の栄枯盛衰のようなストーリー』を話してもらえないだろうか。」というご要望がありました。

この二つをまとめて話すと非常に長くなってしまうため、今回は私が日産を辞めた理由についてお話します。

今転職を考えている方、就活をしている学生さん、あるいは独立しての起業を検討しているないしは既に起業しちゃったという皆さんが、今後キャリア設計する際の一つの参考になれば幸いです。

私の経歴を簡単にご紹介すると、平成元年に日産自動車へ新卒で入社しました。

新卒のときには大学院を卒業していたので、大学新卒の人よりも2年ぐらい遅く入社した格好です。

それから2016年に独立するまでの27年間、日産というかなり大きな組織の中で働いてきました。

私は機械系の学科を卒業したので、最初はエンジニアとしての入社。

とは言え、エンジニアとしてうまく仕事できるようになったと思ったら違う部署に異動、その部署でようやく上手くいくようになったらまた異動…というように、結構部署を転々としました。

そうした中で人生の一大転機となったのは、商品企画部への異動です。

それまで自動車の設計しかしてこなかった自分が「商品企画をやりなさい」ということになり、自分としてはかなりびっくりしました。

それでもともかく業務を担う毎日を重ねて、「商品企画の仕事にもだいぶ慣れたな」と思ってきた時に、今度は人事部に行きなさいという辞令です。

結局、人事部で6年ぐらい仕事をした後で独立したというのが、日産時代のあらましの経歴になります。

「なぜ日産を辞めたか」ということについては本当にいろんな理由があるのですが、主だった理由としては3つです。

1つ目は、「このままでは、もう自分は成長しないな」と感じたことです。

日産の人事部長と言えばそこそこのポジションですし、給料もそこそこ貰える。普通に考えれば安定したポジションです。

そんなポジションを捨ててまで起業するということで、「山極さん、頭おかしいんじゃないですか?」みたいなことを、本当にいろんな人に言われました。

私としても日産という職場が嫌いになったということは全然なかったですし、今でも日産は好きです。

しかし私の内面的にはどういう感情あったかというと、人事部での仕事をずっとやっている中で、何だか自分の成長が止まった感じがしていました。

当時はもう50歳も過ぎた頃なのですが、「なんだか成長しないな」という事を感じ始めたわけです。

皆さんにもそういう経験があるかもしれません。また最近の新卒の方は「会社に入って、どう成長するのか」ということが、ものすごく高い関心事だとも聞きます。

私の場合も人事の仕事は面白かったし、本当に刺激的ではありました。

けれども、何となく途中から「成長しなくなってきた」と感じるようになっていたのです。

人事の仕事は毎年毎年、割と決まった時期に決まったことが起こるので、数年在籍するうちにある程度先が読めるようになってきます。

私自身の個人スキルも、その頃にはそこそこついてきました。

加えて入社以来社歴や異動を重ねることで、勤め先の会社であればどの部署でも使えるポータブルスキルが養われました。

そのおかげで、どの部署においてもそれぞれのポータブルスキルを使って、業務をそつなくこなせるようになってきていた訳です。

業務をそつなくこなせるのは悪い事ではなく、実際人事の評価もかなりいい方の評価いただいていました。

「会社を辞めることはないんじゃないか」という思いもありましたが、それ以上にやっぱり「今の社内で成長しなくなった。

もっと自分自身が成長できる新しい場所に、自分の身を移したい」いう思いが、会社を辞めて起業し一つのポイントだったと思います。

2つ目の理由は、「異動した人事部において、ビジネスチャンスになるそうなことに接した」ということです。

今ではそんなことはないと思いますが、私が着任したときの日産の人事の状態は結構手探りで、近代化させる道半ばという感じでした。

私が人事部でやっていた業務は、簡単に言えば当時全世界で従業員数約28万人、年間売上13兆円ぐらいあった日産の人件費や人員数の責任者をやってくださいという内容です。

製造業の売上高人件費率は10%程度なので、当時で毎年1.3兆円ぐらいの人件費予算の数字が、全て私のところに集まってくるという仕組みになりました。

私自身、人事の素人。その上こんな取り組みは社内にも前例がないので、社内でも誰も知っている人がいません。

そこで社内のいろいろなツテを頼って、社外へベンチマーク活動をしに行きました。

「ベンチマーク」というのは、会社でうまくやっている人のところに施工事例を聞きに行くっていうそういう発想のことです。

ただしその時は社内に聞きに行ける人がいないので、社外に出かけていって「私素人なので、わかりません。教えてください」とベンチマーク活動しに行きました。

「日産の人事ですらこの状態だとすれば、他の会社はどうなっているのだろう」という、純粋な興味が湧いたということもあります。

ところが、聞きに行った社外の担当者の方も、僕の質問に答えてくれませんでした。

つまり誰もやったことのない話だったわけです。

もう途方に暮れました。

自分たちでやり方を一から全部作らなきゃいけないという話ですから、それはそれは試行錯誤の連続でした。

しかし同時に、「待てよ。これはひょっとすると、ビジネスチャンスになるかもしれないな。」という思いが頭をよぎりました。

「こういうことで悩んでいる人は、いっぱいいるんじゃないか」と考えたんです。

人事コンサルタントとして独立するということをぼんやり考え始めたのは、実は人事部に行った最初の年です。

したがって社外へベンチマーク活動をした時に抱いた沸々とした思いが、独立するまでの5年間ぐらいずっと自分の中にあったということになります。

これは、人材育成の業界でいうところの「内発的動機」というものです。

自分の中から動機が生まれてくるということですね。

その反対語として、「外発的動機」があります。外側からの動機付けということです。「給料が上がるよ」「ポジションが上がるよ」「課長になるよ、部長になるよ」といったことが外発的な動機付けです。

私の場合は、内発的動機。「これはひょっとすると、困っている人いっぱいいるんじゃないかな」と思っていて、それを実現するタイミングが5年後に来たというのが2つ目の理由です。

ただし結果として、蓋を開けてみたら実はあんまりみんな困ってなかったっていうことで、私の読み間違いでした。

それでも幸い、独立当初から別のいろいろな形での仕事を頂戴できることになって、何とか食い繋いで今日に至っています。

そして3番目にあるのが、「自分の会社を作ることで、自分の人事に対する考え方をもっと多くの人に提供できるのではないか」という思い。

これが実は、一番大きな理由です。

話は脇道にそれますが、今、日産を取り巻く環境はとても厳しい状態になっています。

一時期カリスマ経営者と言われたカルロス・ゴーンさんは、皆さんご存知の通りの状況です。

そしてもう1人。グレッグ・ケリーさんという正に裁判の真っ最中の方が、かつて代表取締役でした。

実はグレッグ・ケリーさんは、私が人事部に所属していたときの上司です。

ですから私は彼のことを非常に詳しく知っていますし、彼はとても頭のいい人なんです。

そのため個人的には、裁判はどうなるのだろうという興味よりは、とにかくグレッグさんのことが心配です。

僕よりもかなり年上なので、体調面など「大丈夫かな」と心配しています。彼からは本当にいろんなことを学んだので、感謝しかないという思いです。

閑話休題。

さて、日産ぐらいの規模の会社ともなれば、外国人と日本人が一緒に働くケースが多くなります。

今はだいぶ様相が変わりましたが当時は「将来の経営者を育てよう」ということで、優秀な社員を研修に参加させた上で、少し難易度の高いポジションに若いうちに抜擢。

そして実務経験を積ませながら、将来のリーダーを作っていこうというようなプログラムが始まっていました。

そうなると、日本人と外国人が同じ土俵で戦うことになります。

結果として外から見ると「出世レース」に近いようなことが起きて、「このポジションに誰が就くか」というような話になるわけです。

当然、上級職の人事は人事部だけでは決められないため、経営者の入った会議で決まっていきます。

そこで、「やっぱり日本人って損しているな」という思いを持つようになりました。

確かに実力が足りないということもあるかもしれません。

しかし、日本人の中には「縁の下の力持ち」的な働きをして貢献しようという、いわゆる「日本人の良さ」というものがあるわけです。

対して外国人チームはアグレッシブに自分の主張をして、多少の軋轢は気にせずに、全体を引っ張っていく。

極端に言うとこの二つのタイプがありました(もちろん外国人の中にも、紳士・淑女的な動きをしてくれて、変なこと言わないという人はたくさんいました)。

そして出世レース的な話になってくると、「なんでこの外国人が昇格して、こっちの日本人が昇格しないのだろう」というような不可解なことが、たくさん起きたわけです。私はこの事にとても違和感を持っていました。

弊社株式会社経営人事パートナーズでは、人事のコンサルティングと併せて人事評価のクラウドサービスを提供しているのですが、このモジュールの中の一つに「マルチアングルフィードバック」というものがあります。

それはいわゆる「360度評価」なのですが、無記名式ではあるものの点数ばかりでなく、自由記述で気づいたことを書いていただくようにしています。

そして自由記述によってみんなで褒め合う、ないしは「今後、もうちょっとここを直したらいいと思う」といったことを定期的に交換し合うというツールを作っています。

このようなツールを作ったのも、「縁の下の力持ち」的な働きをしている人、あるいは周りからの人望も厚くて仕事もしっかりしている人が、目立たない故に昇格できないというはよろしくないと思ったからです。

とは言え、当時の日産はリーダーシップ育成をしていくという会社の方針でしたので、そういう問題意識で7~8年間ぐらいかけて制度を整えていきました。

ただ私的には、「ちょっとこのやり方はしんどいんじゃないかな」と思っていましたし、人事にいると色々なところで無理が生じているという話も耳に入ってきます。

実際に私も、話がこじれてしまった外国人の従業員の給与交渉の場に出た時があり、その際は「そうか、こういう世界なんだな」というのを痛感しました。

そして人事部にきて3年ぐらい経った頃から、「『日本人はじめ全ての人を、自分の一番得意な仕事のやり方、自分の能力を発揮できるポジションにマッチングさせる』ということを、もう少しうまくできる方法はないだろうか」ということを、常に考えるようになったのです。

何かおかしい。別に日産という会社がおかしいということではないのですが、日産がやっている人事制度がおかしいというように、当時の僕には見えていました。

結果的にはゴーンさん自身はああいったことになってしまい、ゴーンさん提唱の育成プログラムで育ってきた人たちは皆さんいなくなってしまいました。

今は新しい体制に切り替わって、一生懸命再建に向けて努力をしているところです。

私が持った違和感の原点には、「なぜ人事の制度というのはうまくいかないのだろうか」という思いがあって、「これを何とかしたいな」と考えるようになりました。

日本人には日本人にしかできないことというのがいっぱいあるはずで、もっと細かくいえば皆さん一人ひとり、あなた一人ひとりにしかできないことがあると思います。

長期的には、「自分にしかできないことに出会うための、お手伝いのような仕事ができたらいいな」といったことを思っていました。

それをやろうとしたときに、日産ではできないなと思ったわけです。

大企業と言っても、日産にはたかだか28万人しかいませんからね。

ただ、そこで自分で会社を作って、領域を広げていくことができれば…。

ダメかもしれないけれど、うまくいけばひょっとすると、もっと多くの人に自分にしかできないことに出会うための機会や考え方を提供できるんじゃないか。

そういった非常に青臭い考え方で、独立・起業したという次第です。

特に何とかして日産を辞めたかったとかということではなく、そういう世界も見てみたいという純粋な気持ちで、特に深く考えることもなく退職しました。

ほとんどの人は退職日前の2週間、有給休暇を取ります。

しかし私は退職日の3月31日まで出勤して、有給を大量に残して辞めました。

退職日まで会社に行っていたので、起業の事前準備は一切していませんでした。

それでも本当にいい仲間に巡り会うことができて、4月28日に会社登記することができました。

それから現在に至るまで、もう7年が経ちます。私の考えが少しずつでも日本に広まっていったらいいかな、というふうに思っています。

これが私のサラリーマン人生、一番後半部分のストーリーです。

さて、就職、転職、あるいは独立。

仕事に関して進む道としては、大体この三つだと思います。

人生にとって非常に大きなターニングポイントだと思いますし、皆さんご自身もいろんなことを考えていらっしゃるのではないでしょうか。

私の経験はあくまでも私だけの経験なので、本当に「n-1」ということになります。

それでも、起業直後の方をはじめとしていろいろな方と話をする中、また実際私自身が転職したり他の方から転職相談を受けたりする中で、1つ間違いないかなと思うことはあります。

それは、「自分のやりたい事が見つかっているのであれば、自分を信じて貫くのがいいのではないか」ということです。

失敗するかもしれません。

それでもチャレンジしないで悶々とするよりは、チャレンジした方がいいかなという気がするわけです。

人間はどうしても、「失敗したくない」というように怖いものから遠ざかりたいというふうに考えます。

確かに失敗すると金銭的な問題もありますし、家族がいらっしゃる方なら家族をどうやって養っていこうかという心配もあるでしょう。

人生を何回も繰り返せるなら、「実験的に今回はここまで」ということができるかもしれません。

しかし、人生は基本1回しか覚えてないわけです。

生まれ変わるにしても、そのときの人生はそのときしか覚えていません。

その中で、どのようにして悔いのないように生きていくかいうことが大切ではないかと思うわけです。

ですから転職や独立という思いが芽生えているのであれば、「本当に自分はそれでいいのかと」とその考えと少し一緒に暮らしてみる。

そして確証が持てた瞬間が来たら、すぐに具体化した方がいいと思います。

大体において、そんなひどいことにはなりません。

大いに共感してくれる人とかが出てきて、必ず助けてくれます

途中でめちゃくちゃ挫折した人というのも、僕はあんまり見たことがありません。

転職しても、独立しても、大体みんなうまくいっています。

ただ、独立したら独立したで結構しんどいこともいろいろあります。

皆さん表面は笑っていても、本当努力していると思います。

繰り返しになりますが、まず自分のその思いにしばらく向き合ってみる。

2~3年、早い人なら1年かもしれません。

「これだ」と思ったら決断して、動き始めて、どんどん仲間に助けを求める。

こういう流れが、その先の新しい世界を切り開いていく力になるのではないかと思います。

それから新卒の学生の方は、本当に今仕事がいろんな状況で減ってきている中、職に就くのも大変なことでしょう。

そんな中、面接やインターン、Web面接などいろいろなテクニック系の話も多く出回っています。

ただ、新卒でこれから新入社員になる皆さんも、基本的には同じです。

就職活動は「自分は今の人生で、何を本当にやりたいのか」ということを考えるいい機会と言えます。

入りたい会社に入れないかもしれないし、入りたい会社はものすごく倍率が高いかもしれない。

あるいは、入りたい会社はもう社員募集していないかもしれない。いろいろなケースは考えられます。

ただ、私の経歴も先ほどお伝えした通りで、最初エンジニアで入社して、商品企画に行って、その後は人事。

そして今は人事コンサルですから、世の中何が幸いするかわからないわけです。

どんな会社であっても入ってすぐ最初の仕事、2番目の仕事、3番目の仕事と続くわけですが、とにかく全部一生懸命やるしかない。

「一生懸命やっているうちに、何か道が開けてくる」と私は思いますし、私以外でもそういったことを言う人は本当に多いです。

人生、思うに任せないというところはいろいろあると思います。

それでもとりあえず、目の前の課題を真剣に解いていく。

そういうアプローチがいいんじゃないかなと思います。

それぞれの人を、それぞれに見合った場所にマッチングする。

ありふれた言葉で言えば適材適所です。

本当は、会社の中に適材適所はあります。

そしてこれだけインターネットなどでいろいろな情報が流通する世の中になると、日本全体での適材適所を探すという社会になる。

国や地域、それぞれ本当に特殊な能力を持っている人はたくさんいて、その人たちが一番得意な仕事をやった方が確実に生産性は良いわけです。

その仕事が好きで、得意で、情熱があって、努力を惜しまないっていう人と、自分にとってあんまり興味のないという人が同じ仕事するなら、圧倒的に前者の興味ある仕事やった方がいいに決まっています。

そういう能力を持った人と、それを必要としている人。これをどうやって社会全体でマッチングさせていくか…そういう仕事を引き続きやっていきたいと私は考えています。

この記事の動画バージョンはこちらです。

Who is writing

山極 毅(やまぎわ たけし)
株式会社経営人事パートナーズ 代表取締役
横浜国立大学大学院工学研究科卒業

元日産自動車グローバル人事部長 兼日本人事企画部長
日本交流分析学会正会員

”人は、会社がなくても生きていける。 しかし、会社は人がいなければ存続できない。”

2009年12月、もうすぐ冬季休暇になるある日、私は人事部長に呼ばれました。そして、このように告げられました。

「来年の4月1日付けで、本社のグローバル人事部の部長職に異動してもらうことになりました。詳しい仕事の内容は、着任後に上司の役員から聞いてください」

私の人事部人生は、このように突然始まりました。

4月に着任し、そのアメリカ人上司のところに行くと、

「あなたには、世界中の社員の採用と離職に伴う人員の変動と、日産グループ全体の人件費管理をやってもらいます」と言われました。

人事部経験の無い私に、なぜそのような重要な仕事を任せるのですか?と聞いてみたところ、「今の人事部は、数値の扱い方が出来ていない。エンジニアと商品企画の経験を活かして、人的資源管理(リソースマネジメント)を会社に定着させて欲しいのです」、という答えが返ってきました。

経験も前例もない仕事ですから、それからしばらくは悪戦苦闘の日々が続きました。古くから人事部にいる先輩や同僚だけでなく、社外の知恵も聞きに行きました。

前例のない悪戦苦闘の3年が過ぎた頃、私のチームはグローバル社員数25万人と、毎月1万人の人の出入りを管理し、約1兆円の人件費の活用状況を毎月役員会にレポートできるまで成長していました。

日本の連結会社のデータは稼働15日で、全世界のデータは稼働25日でまとめられるようになっていました。

これらの経験を通して得られた教訓は、「すべての人事業務は、連携させて考えた方が上手くいく」ということでした。

採用は採用チームの問題、人材育成は育成チームの問題、人事評価は評価制度チームの問題、賃金テーブルは経理部門が検討する課題というように、課題ごとに対応策を考えていくことが、効率的な方策であると信じられています。

ギリシアの思想家アリストテレスは、「全体は部分の総和に勝る」という名言を残しました。これは、全体には部分の総和以上の構造が存在していることを示しています。

人間だれしも、自分のことを客観視することは難しいわけですが、同じことは会社にも当てはまります。

弊社は、様々な成功例と失敗例を見てきた知識と経験を応用して、お客様の人事課題を客観的に把握し、共に解決策を考えるパートナーとなることを目指しています。