【社会を知る編④】「和魂洋才」をバランスし、「和魂和才」を再認識する時代へ!~レヴィ=ストロースからの金言~

最終回は、ぜひ経営者・人事の方々にもお届けしたい内容です。これからの日本企業の在り方を考察します。

  

最後は外側から日本をみてみよう

社会を知る編シリーズでは、これまでに、日本社会について経済面を中心に全体像を捉え(その①)、次に、日本企業の全体像と、企業の中でも一握りの大企業・上場企業のあまり表に出てこない現実を整理し(その②)、さらに、就活市場ではどうしても情報量が少ないけれど、確実に日本を支えている中小企業についてピックアップしてきました(その③)。

ここまでは、日本社会・日本企業をあくまで日本の「内側」からみた視点になります。

最終回の本記事では、まったく別の視点、「外側」の世界からみた日本・日本人について捉えることで、普段私たちが当たり前すぎて気づかない、あるいは現代では残念ながら消えかかっているけれど、古来受け継がれている考え方・精神性について考察します。

そして、これからの時代の企業選び・キャリア形成・経営や人事、そして生き方のヒントとなるような“根幹”を探っていきたいと思います。

また、なんとなく言葉だけが独り歩きしてしまったグローバル化とは、どういうことなのか一緒に考えていきましょう。

筆者は日本生まれ日本育ちのため、基本的には内側からの視点しか持ちあわせていません。

今回は、外側からの視点の代表として、20世紀最大の人類学者と呼ばれ、哲学者でもあったフランス人、クロード・レヴィ=ストロースによる日本・日本人の考察をもとに、進めていきたいと思います。

 

月の裏側の親日家

ここからは、レヴィ=ストロースが主に日本文化についての分析をまとめた著書『月の裏側 日本文化への視角』を参考にしながら、考えていきたいと思います。(非常に内容が深く、何度も読み込むことで気づきが増えるような著書のため、専門家の方々からすると指摘事項があるかもしれませんが、企業・経営に当てはめたときのひとつの見解としてご了承いただければ幸いです)

クロード・レヴィ=ストロース(1908~2009年)は、ベルギー生まれパリ育ちのユダヤ系フランス人。

文化人類学者であり民族学者、さらに哲学者でもあります。

父親が画家であり、幼少期から世界の芸術が身近にある環境で育ちました。

そのなかでも日本の浮世絵に魅せられ、学校で良い成績をとると、父のコレクションから浮世絵を一枚ずつ褒美にもらうほど、その美しさに心を奪われていたそうです。

大学を卒業し、法学の学士号を取得するのですが、同時に哲学を学び、哲学教授資格試験に合格します。

その後、しばらくフランスの学校で哲学を教えていましたが、哲学教師の仕事だけでは満足しません。

ちょうど新設のサンパウロ大学の社会学教授の打診を受けるのですが、当時興味をもっていた民族学のフィールドワークを実現するために快諾、社会学の教授としてブラジルへと渡ります。

そして、哲学の視点を併せもったうえで、文化人類学者・民族学者としてのキャリアが始まります。

ブラジルでは、先住民族であるボロロ族やナンビクワラ族などの現地調査を行います。

フランスに帰国後、第二次世界大戦が勃発。ユダヤ人の迫害を逃れるためアメリカに亡命した際に、言語学者ロマーン・ヤコブソン(1896~1982年)と出会い、彼との交流がきっかけで、哲学史上もっとも新しい概念といわれる「構造主義」という方法を確立していきます。

そして、人間の思考や行動には、その根底に野生的で目に見えない精緻な構造があることを、先の先住民の暮らしの中に見出すのです。

この思考は、西洋に根付いている科学や技術の発展の途上にあるものではなく、まったく別の体系として存在し、むしろ優劣や進んでいる遅れているという概念とは無縁の、すべての人類が根底にもっている普遍的なものであると説きます。

彼はこの思考を、「野生の思考」と呼びました。

レヴィ=ストロースは、この構造主義の提唱により、未開民族に対して西洋文化よりも劣っているという野蛮・未熟という考え方や偏見思想を痛烈に批判し、西洋中心・至上主義ともとれる当時の西洋哲学の概念を論破、実存主義を提唱していたサルトルと対極にいた人物として有名です。

本記事で参考にする『月の裏側』以外にも、レヴィ=ストロースの有名な著書に、『野生の思考』、『悲しき熱帯』、『神話論理』などがあり、特に『野生の思考』は、一世を風靡し、日本でもブームになりました。

世界の行き詰まりを打開するためには、何が必要なのかを追い求めた生涯でした。

さて、このようなキャリアをもつレヴィ=ストロースですが、晩年に5回来日しています。

東京・大阪・京都などの都市だけでなく、能登半島や隠岐諸島、四国や九州、琉球諸島などの小さな町や村まで幅広く訪れました。

そして細かな観察・現地での交流や対話を通して、日本の独自性について、世界で唯一無二である要素がいくつもあることを発見し、とても感嘆するとともに、神話・芸術をはじめ、さまざまな視点から考察しています。

本書の中では次のような表現はないのですが、「和魂洋才」さらには「和魂和才」という言葉で表せるだろうレヴィ=ストロースの観察による日本の可能性・在り方について、今回は取り上げてみたいと思います。

 

和魂洋才とは

「和魂洋才」とは、日本古来の精神を失わず、西洋からの優れた学問・知識・技術などを取り入れ、両者を調和・発展させていくという意味の言葉です。

もともとは中国の優れた学問を摂取する「和魂漢才」という四字熟語から派生した語で、明治以降に使われるようになりました。

実際に明治維新から戦後にかけて、資本主義の仕組みや考え方が一気に日本に入り込んだこともあり、近代工業化が進んでいた西洋の技術を積極的に導入し、同時に西洋文化・思想についても、食・建築・ファッション・自由に対する捉え方など、日本人は日々の暮らしのあらゆる面に洋才を取り入れてきました。

さて、レヴィ=ストロースは、この和魂と洋才について、それぞれどのように捉えていたのでしょうか。

洋才とは、主に“欧米の技術”を指しますが、今回は“異国の優れたもの”と解釈を少し広げてみていきたいと思います。

 

日本の独創性はオンリーワン

まずは、和魂洋才のうち、洋才についてです。

真似をすることが得意だと他国から揶揄されたこともある日本ですが、ただ単になんでもかんでも異国のものを取り入れてきたわけではありません。

実は、洋才の取り入れ方に、他国にはない特徴があります。

それは、日本は必ず「自国のアレンジが入る」という点です。

和魂洋才という言葉の意味にも、このポイントは含まれているわけですが、そのまま模倣して取り込むわけではないんですね。

歴史を遡ると、確かに日本は、中国をはじめとするアジアの学問・知識を取り入れ、明治維新後はヨーロッパの技術・文化を取り入れ、戦後はアメリカのあらゆる要素を取り入れてきました。(一部では、受け入れざるを得なかったともいえますが)

しかし、現在それらのどれをとっても、異国そのままのものは存在しないとレヴィ=ストロースは指摘します。

日本はヨーロッパの国のどこにも似ていないし、アメリカや中国に似ているわけでもない。

真似しているのに似ていない。

けれど、中国っぽい要素、欧米っぽい要素を、全国各地で見出すことができる、独特の国だといいます。

また、日本は大きく2つの側面で、西洋とも東洋とも考え方が異なる、と指摘しています。

まず、思想・精神についてです。

西洋哲学では、サルトルの実存主義にみられるように、主体である自己こそが、すべての中心であり起点であると捉えます。

西洋にとっての自己とは、まず自分を確立し、その個人の集まりにより、組織や社会が形成されていくという構造です。

そのため、自分が何事においてもスタート地点になり、原因でもあり、自己から外に向かって広がっていく遠心的な特徴があると指摘します。

確かにビジネスの場面で考えても、コミュニケーションにおいて、自己主張は当たり前、むしろ会議などでは自分の意見がなければ存在していないのと同じ、そして外部に対して、自己プロデュースが非常に上手いのは、西洋思想からくる欧米人の特徴のような気もします。

対して、東洋哲学は、自己・自我である「私」は、この世つまり現象界の幻想であると説き、ヒンドゥー教、道教、仏教など思想の違いはありますが、主体の存在を否定します。

一方で、日本・日本人の考え方は、主体を否定しているわけではないが、独自の解釈で、西洋とは反転した精神構造をしているとレヴィ=ストロースは指摘します。

主体である自己を拒否しないものの、西洋とは捉え方が逆であり、まず、自分から最も遠いまわりの環境である社会・組織・他者など外側から構築し、結果として今の自己がある、という考え方です。

自己アピールが苦手で主体性が無いと言われがちですが、まわりの状況・環境において、他者との差異を認識し、そこで自身が果たせる役割を全うすることで、組織が一体となり、結果としての自己が確立され、同時に自己主張になっているという構造自体が、元々の日本人の精神に根付いているといえそうです。

「おかげさま・お互いさま」の精神や、「生かされている」という考え方にも近いのではないでしょうか。

日本はチームスポーツに強い傾向があるのも、この精神構造がなせる業です。

日本的思考が主体を思い描くやり方は、むしろ求心的であるように思われます。

日本語の統辞法が、一般的なものから特殊なものへ限定することによって文章を構成するのと同じく、日本人の思考は、主体を最後に置きます。

これは、よりせまい社会的、職業的グループが互いにぴったりとはまりこんでいる結果生じるのです。

このようにして、主体は一つの実体となります。

つまり、自らの帰属を映し出す、最終的な場となるのです。

この精神性が、後述する「和魂」のひとつともいえるのでしょう。

次に、言語(ロゴス)についてです。

西洋、特にギリシャ哲学にとって言葉というのは、物事の道理を考えるときに欠かせないものであり、言葉によって世界を理解できると信じてきました。

世の中の真実、自由などの抽象概念も、正しく論理を構成すれば、言葉は現実を捉え、忠実に表現できると考えられています。

反対に、儒教などの東洋思想では、言葉と現実は必ずしも一致せず、限界があるという考え方が主流です。

では、日本はどうかというと、東洋の国々のなかで、このロゴスを否定せず、しかし日本に合わないものは切り離して見事に受け入れることで、20世紀の科学技術をリードする大国になったとレヴィ=ストロースは分析しています。

これらの観察は主に20世紀の日本を指しているので、現在はそうとも言い切れない部分もありますが、論理的なアプローチと、経験・歴史・人情などに基づくアプローチをうまく融合させて、すべてを理詰めにするのではなく、若干のあそび・余白のようなものも残しながら、高度経済成長期の日本企業は発展していったとも捉えることができます。

まとめると、日本は西洋とも東洋とも一線を画し、独自の解釈でアレンジする能力をもっているということです。

そして、極端なものや不要なものはしっかり排除する。

「大切な軸は守り、取捨選択をし、他の良さを要素として取り出し、融合して磨き上げる」 

日本人は、元々このプロセスがとても得意なのかもしれません。

その根拠として、レヴィ=ストロースは世界で最古の日本の文明について述べています。

忘れたくないもう一つの面は、あなたがたは縄文文明という一つの文明をもっていたことです。

縄文文明と比較できるものは、皆無です。

ですからそこに、根源での日本の特殊性の証があると、私は言いたいのです。

さらに、この日本の特殊性は、他所から受け入れた要素を洗練し、それをつねに何かしらの独自のものにしてゆく力を具えていたのです。

 

独自性の事例とは

文明の話となると、とても大きな概念でイメージしづらいですが、この視点を、具体的な企業の施策に当てはめてみましょう。

例えば、一部の日本企業で選択されている職種別採用です。

「ジョブ型」として、就活生のみなさんもメディアで見聞きしたり、実際にジョブ型の新卒採用を実施している企業に応募を考えていたりする方もいるかもしれませんね。

しかし、これも実態は、そのまま文字通り欧米のジョブ型を取り入れているわけではないのです。

職種別採用は、日本企業に合う形でうまく本来のジョブ型の要素を取り出し、解釈をアレンジした方法で、日本式ジョブ型採用として広まっています。

そのように考えると、なぜ年功序列って始まったんだっけ?なぜメンバーシップ型って生まれたんだっけ?と、そもそもの起源を遡ってよく観察してみると、日本企業の人事制度も、すべてが頭ごなしに否定されるものではなく、時代の変化はあるものの、むしろ日本に適した解釈や要素が存在していることに気づけるのではないでしょうか。

また、別の捉え方をすれば、世界からあらゆるものが日本に持ち込まれ、日本も受け入れる。

そして、日本人ならではの独自性が発揮され、アップデートされて、また世界に還元されていく。

そんな立ち位置であることを認識すると、文化面だけでなく、ビジネスにおける日本企業の潜在力ってすごいのかもしれない、と思えてきませんか?

将来的なことを考えれば、最新の洋才であるChatGPTなどの生成AIについても、同じことが言えるかもしれません。

厳しく規制する国もある中で、日本はガイドラインを公表したものの、基本的には積極的に受け入れています。

国の政策に使われるのは賛否両論ありそうですが、日本企業の中で咀嚼され、面白いものを世界に発信することができるかもしれません。

一人ひとりがもっている、発想の転換、組み合わせのアイデア、柔軟な考え方を活かすことができそうです。

 

一方で、日本は洋才を盲目視して失敗した過去もあります。

失敗事例として、企業の評価制度に西洋の成果主義をそのまま取り入れたばかりに、うまくいかなかったケースがあります。

1990年代~2000年代半ばにかけて、欧米のごく一部のエリート層の働き方である成果主義をそのまま日本企業全体の評価制度に取り入れてしまったため、混乱・反発をまねきました。

実力主義・成果主義というと、ある意味フェアに聞こえますが、さまざまな職種があり、実際は何をもって成果とするかは非常に難しく、基準も曖昧で、結果的に成果主義だけでは成り立たないことを日本企業は学んできています。

資本主義が導入され、豊かさの定義がマネーに移り、極端な考え方に走りすぎることで、場合によっては、大切なものを見失ってしまうこともあるように感じます。

その大切なものこそ、和魂です。

 

外からみた「和魂」

和魂とは、「日本固有の精神」だったり、「大和魂」とも言い表すことができます。

近代工業化以降、急速に失われつつあり、現代ではだいぶ薄まっている印象ですが、大和魂とは、仏教や儒教などが日本に入ってくるよりも前から続く、日本人の本来の考え方や思想のことです。

勇敢で潔い精神、“もののあわれ”といわれるような情趣や美的理念、共感する能力や感受性、誠実・実直な心、自然を敬う、思いやりや共同体の精神などと、現代では解釈が広がり多様な表現がありますが、これは日本人に限らず、“人として”という根幹の部分の精神性にも通ずるものです。

レヴィ=ストロースは、この和魂について、特に伝統産業に携わる職人たちの労働観を観察し、次のように述べています。

私は、「はたらく」ということを日本人がどのように考えているかについて、貴重な教示を得ました。

それは西洋式の、生命のない物質への人間のはたらきかけではなく、人間と自然のあいだにある親密な関係の具体化だということです。

彼の分析では、西洋は、自然と人間は明確に分けられ、自然は文明のために利用すべき存在として捉えられている一方で、日本は明治維新後も、自然と人間を区別することなく、自然と高度な技術が同居している国であるといいます。

また、レヴィ=ストロースは、日本の伝統産業の職人たちは、扱う自然の素材に対して、自分の設計図や都合に合わせて加工するのではなく、その素材が潜在的にもっている本質を引き出すことで、ものづくりを行っており、さらに働くことそのものに喜びを感じていることに気づきます。

例えば、人間が一から作り上げ、完全にシンメトリーに加工された西洋式庭園と、景観は考えながらも、人間が介在するのは最小限で、木々の枝の流れを汲み取りながら手を加えられた日本庭園をみても、その主張は当てはまります。

また、あらかじめ設計図があり、人間が主体的に加工していくコンクリート建築のプロセスと、その時々の木や土の性質を見極めながら、よさを引き出していくプロセスは、先述した精神構造の違いにも通じます。

日本の職人は主体的に対象を支配しようとするのではなく、素材や環境に合わせて、良さを引き出そうとする働きかけをするということです。

この日本人の考え方の中に、先述の「野生の思考」がまだ生きているのではないか、とレヴィ=ストロースは述べています。

注目すべきはこの彼の視点、対自然だけでなく対人間にも、私たち日本人は無意識に同じことをやっていないでしょうか。

一緒に働く仲間の潜在力を引き出す力、相手の強みを発見する力。

だからこそ、世界各国がジョブ型・適所適材を採用している中で、メンバーシップ型・適材適所の考え方が生まれた国だということもできそうです。

また、「働く」という言葉の由来において、西洋は労働という概念が強いですが、日本には「傍(はた)を楽にする」という意味があります。

労働対価というように、お金をもらうための行為ではなく、まわりの人の役に立ち、人を喜ばせたり幸せにしたりすること。

この考え方が、もともと日本人には備わっているわけです。

 

現代の新たな捉え方

とはいえ、個の捉え方は、時代とともに変わってきています。

どちらが良い悪いではなく、レヴィ=ストロースの先述の考察のとおり、「起点としての自己」と、「結果としての自己」、どちらも存在しますが、現在の傾向としては、自分軸・自己理解・自分のやりたいこと・自己実現・まずは自分自身を大切にするなど、どちらかといえば西洋哲学の影響が強い自己の確立の仕方、コミュニケーションの在り方が日本でも主流になっています。

主体性と言語化はビジネスの場でも求められる傾向にあります。

就活や転職の場面でも、自分自身をしっかりと表現することは必須です。

そのため、レヴィ=ストロースの視点をもとに考えると、日本人が元々DNA的にもっている遠心的に自己を固めていく精神構造と相反する構造・考え方を採用していることになり、人によっては潜在的に矛盾が起きやすいのかもしれません。

彼は言います、デカルトの「われ思うゆえにわれあり」は、厳密には日本語に訳せないだろうと。

主体的な自己という思考回路が裏目に出た結果、自分自身がわからない、どうせ自分なんて、という葛藤から派生して、なんのために生きているのか分からないと、生きづらさを抱えた人が世界に比べて圧倒的に多いのも、「自己肯定感」という言葉の解釈が人それぞれ微妙に異なり、共通理解が難しいのも、この精神構造の矛盾のカラクリが関わっているのかもしれない、と、本書を読みながらひとつ仮説が出てきました。

難しい問題ですが、この先、世界の思想が少しずつ融合されていく日がくるのでしょうか。

実際に企業においても、日本では自発的なリスキリングや主体性が求められ、アメリカではメンバーシップ型のよさを取り入れる企業があるなど、両者は少しずつ形を変えていくのかもしれません。

今は過渡期と捉え、個の確立の仕方は自分の馴染みやすい方法で、どちら側からスタートしてもいいのかもしれないですね。

また、求心的な自己の確立とは、自己犠牲や同調圧力、忖度とはまた別物であるという点が、この精神構造の解釈の難しいところです。

どうしても昔ながらの考え方として、ネガティブに認識されている印象があります。

海外と比較すると、コミュニケーションが苦手、お人好しといわれる日本人ですが、阿吽の呼吸という言葉もあるように、言葉に出さなくても相手の空気や間合いを察し、通じ合うことが自然にできる民族ならではの側面なのかもしれません。

だから、この感性はこのまま大切にしつつ、対外にしっかりと言語化して自己発信していく術はうまく身に付けていく。

そのバランスが巧みな人や企業が、これからの時代は可能性があるように思います。

 

和魂・和才が生きている企業とは

では、実際に和魂洋才や和魂和才は企業でどう生かされているのか、筆者の視点で具体的にいくつか事例を挙げてみたいと思います。

① 流れを受け入れ、最後は和魂和才で牽引する ~トヨタ自動車~

6月のトヨタ自動車の発表は世界を驚かせました。

トヨタの新技術、全固体電池の世界発の実装、2027年にも実用化するという内容です。

全固体電池は、EVのデメリットである航続距離の改善と、充電時間の大幅な短縮が可能になり、そして何より安全性が確保できることが期待されています。

EV化の推進により、まだ十分に乗れるガソリン車を大量廃棄することでの環境汚染なども問題視しつつ、かといってガソリン車に固執しているわけでもありません。

今回のEV推進の流れは、日本の自動車産業への対抗策の意図があったと一部では言われていますが、トヨタはEVを否定することなく流れを受け入れ、しかし課題の本質は見失わず、目先の短期的な利益よりも、まずは地球環境と安全性にとって最善策は何かという長期的かつ普遍的な考え方で、ハイブリッドや水素自動車も含めて多角的に開発してきたということです。

これこそ、和魂和才で日本だけでなく世界をより良くするために活躍するお手本のような企業だと感じます。

② 和魂の巧みな捉え方と洋才のバランス ~クラシコム~

「北欧、暮らしの道具店」というECサイトを中心に、北欧・北欧テイストの暮らしにまつわる商品販売だけでなく、読み物・動画・ラジオ・ドラマまで、さまざまなコンテンツを発信している企業です。

「世界観・空気感」という、目にみえないものを共有し、そこに共感することが起点であり、主軸でもあるビジネスを展開されています。あまり似たようなコンセプトの企業がみられません。

商品は、他のサイトや店舗でも購入可能な北欧雑貨も含まれ、扱うものは洋才が中心ですが、売り方は和魂の要素が巧みに解釈されています。

③ 伝え方を吟味し、和魂和才を世界に広める ~JAPAN CRAFT SAKE COMPANY~

元サッカー選手の中田英寿さんが手がける企業です。

和才の代表ともいえる、日本酒。

この日本酒の素晴らしさや全国各地の酒蔵、そこで働く人々を、日本だけでなく世界に発信する事業を展開されています。

日本酒だけでなく、現在の日本の伝統産業の担い手不足、後継者不足は深刻な状況です。

ひとつひとつの和才の力は小さくても、その和才を集めて伝え方を工夫すれば、大きな発信力になります。

和才を広めて未来につなげていくための和魂事業であるように思います。

 

これからの生き方として、和魂は世界に求められる

最後に、レヴィ=ストロースの結びの言葉をお送りします。

今日でもなお、日本を訪れる外国人は、各自が自分の務めをよく果たそうとする熱意、快活な善意が、その外来者の自国の社会的精神的風土と比べて、日本の人々の大きな長所だと感じるのです。

日本の人々が、過去の伝統と現在の革新の間の得がたい均衡をいつまでも保ち続けられるよう願わずにはいられません。

それは日本人自身のためだけに、ではありません。

人類のすべてが、学ぶに値する一例をそこに見出すからです。

過去の伝統と現在の革新の間の得がたい均衡。

2023年7月現在、これが保たれているかはとても怪しいですが、これこそが、人間の根源と科学技術の調和、和魂洋才のバランスであり、さらに磨き上げた和魂和才を世界に発信していく企業が増えていくと、日本の多様性と普遍性を守りながら、世界で活躍することができる人が増えるのではないでしょうか。

先代から受け継ぎ次世代につないでいく普遍的な軸と、昔のやり方に固執するのではなく、時代に合った新しい発想やテクノロジーを取り込んでアレンジしていくことと、どちらも必要です。

実際、両者のバランスのいい企業が成長し、注目されています。

企業選びでいえば、みなさんの発想が活かされやすい環境が面白いでしょう。

多くの人がいる分、ひらめきの量と材料が相対的に多い大企業、小さな集団でもフットワーク軽く実践に移しやすい中小企業、どちらでも活かし方があります。

また、「会社をグローバル化する」とは、上場することでも、英語を社内用語にすることでも、経営層に外国人を増やすことでもないと筆者は捉えています。

普遍的な要素と革新的な要素とは一線を引き、企業の個性や理念・志は守っていく必要があります。

グローバルスタンダードが、没個性を生み出してしまっては意味がありません。

レヴィ=ストロースが教えてくれているように、他者との差異を感じとり受け入れられるダイバーシティの考え方は、法律をつくるまでもなく、もともと日本人の精神構造には染み付いているはずです。

しかし、自分の個性を大切に!と言いつつ、ひとつ大きな視点、各国を個人と見立てたときに、私たちは日本の個性を、自分たちで否定しまくっている気がします。

そんな視点から日本の社会・企業をみてみると、また、ずいぶん見方が変わるのではないでしょうか。

そして首都圏の一等地にある大企業・人気企業だけでなく、みなさんの地元に、素晴らしい企業がたくさんあるはずです。

【社会を知る編】全4回を通して、私たちにとって本当に大切な根本は何だろうということを改めて見つめ直す機会になればと、キャリア支援に携わってきた1人の日本人として願い、お届けしてきました。

就活や転職で悩んでいる方、起業を考えている方、経営や人事に携わる方、なんとなく生き方に違和感をもっている方へ。

正解がなく多様な価値観で生きていくことができる今、このレヴィ=ストロースの金言が、少しでもどなたかのヒントになれば幸いです。

Who is writing

大学卒業後、人材業界にて法人営業・キャリアコンサルティングに従事。
20代~60代まで幅広い年齢層のキャリア・メンタル相談を経験する。
その後、企業の新卒採用代行、大学生の就職活動支援、さまざまな生きづらさを抱えた学生と向き合う伴走支援に携わり、現在の社会構造と人の活かし方に疑問をもつ。
また、人にかかわる問題の根底は「教育」にあると考え、幼少期の教育・子育て分野にも
キャリアを広げている。
2級キャリアコンサルティング技能士(国家資格)