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近頃様々なメディアで「高学歴難民」という言葉を目にします。
どれどれ、と思い阿部恭子氏著の「高学歴難民」を読んでみました。
どんな切り口で高学歴難民を取材なさっているのかに興味がありました。
結果、著者が犯罪加害者の家族の支援組織を設立した法学修士であるという事もあり、ストーカーや売春婦、振り込め詐欺に加担など、穏やかではない例が満載で、ネガティブな、社会問題的なニュアンスが強いご本でした。
教育の意義や社会の課題、学歴偏重社会のへの警鐘が込められたメッセージでした。
しかし、高学歴を望むことはいけない事なのでしょうか。
無駄な学歴は不要なのでしょうか。
「損か得か」とは何をもって判断するのでしょう。
ご本の中にある人々が高学歴ではなく、普通の大学に通い、普通の就職をしていたら幸せだったのでしょうか?
彼らの問題の根源は高学歴なのでしょうか?
そんな疑問が残りました。
高学歴難民はギフティッド
これをお読みの高学歴難民のみなさん、
どうか安心してください。
皆さんはギフティッドなのです。
まだギフティッドの記事をお読みでない方は是非、こちらをお読みになってください。
アメリカで見たギフテッド教育の最先端について PART1
アメリカで見てきたギフテッド教育最先端について PART2 アメリカの受験戦争と就活
アメリカで見てきたギフティッド教育の最先端について PART3 ギフティッド人材に即した職場環境
皆さんはその有り余る才能を発揮する場所をみつけられなかっただけなのです。
普通の人とは異次元の価値観で生活しているだけなのです。
木には登れないけれど、大海で泳ぐことは得意なギフティッドなのです。
ギフティッドの特性として完璧主義があげられます。
そして完璧さを目指すが故に、自己満足度が低く、自身を過小評価しがちなのです。
高学歴だから故に、最高のものを目にし最高の人たちに接する事ができたからこそ、自分を過小評価してしまうのです。
そんなギフティッドの皆さんに、高学歴難民ギフティッドのプライドを持って生きていただくよう、高学歴難民の生き方のヒントをお伝えしたいと思います。
私の難民ストーリー
なぜ私がこの「高学歴難民」に興味を持ったかー。
実は私自身が高学歴難民でした。
まずは、私がなぜ高学歴難民になったのか、私自身のお話をさせて頂きたいと思います。
自分語りが長くて恐縮ですが、きっと皆さまのストーリーと共鳴するポイントがたくさん出てくるのではないかと思います。
私の経歴を見ていただくとお分かりになられると思いますが、アメリカ東部のアイビーリーグの名門、ブラウン大学大学院・政治学部修士卒。
文字面は大変立派に見えるのですが、何か特化したスペシャリティがある訳でもなく、真っ当に正社員として働いたのは、(株)ディスコでボストンキャリアフォーラムの立ち上げ時に3年ほどだったと思います。
そもそも安定志向はさらさら無く、冷戦真っただ中の国際政治学専攻として「核戦争はいかにして防げるか、世界平和はいかにすれば実現可能か」などと、一銭にもならない事をただひたすら学んでいました。
漠然と国連のような国際機関で働きたいと思っていましたが、ジョブ型採用の国連では政治学修士の入る余地はなく、保健衛生、農業、途上国教育などの専門性が求められていました。
かといって、エントリーレベルのヤング・プロフェッショナル・プログラムにもひっかからず。
そして、大学院で一通り履修を終え、修士論文を書く段階になったところで担当教授が台湾政府の政権アドバイザーとして就任した為に不在に。
一年の予定が数年も戻って来ず、大学院に在籍しながら宙ぶらりんの状態が続きました。
そんな時にご縁あって、前述のボストンキャリアフォーラムの立ち上げに携わらせていただきました。
これは素晴らしい経験をさせていただき、生きがいに満ちた溌剌とした日々でした。
しかし、人様の就職のお世話をしながらも、私自身は安定した職場とか、年収や就職ランクングなどにはまるで興味がありませんでした。
「国籍を問わない」というキャリアフォーラムの企画の趣旨に賛同し、企画立ち上げ・運営そのものがただ楽しく、ビジネスの世界を垣間見て多くを学んでいただけでした。
ただ、ひとたび企画が軌道に乗ると熱量が激減する性質なので、また新しいことを始めたくなりました。
そうなんです、一度軌道に乗ると業務に刺激がなくなってしまって、モーティベーションを維持できない性質をもっています。
また、大病を患い、体力的にも限界がきていました。
その時点で既に10年間アメリカに住んでいた私は、諸事情で日本に転勤になっていたのですが、日本社会への順応が窮屈で難しく自由なアメリカに戻りたいと考えていました。
丁度その頃、教授が台湾から戻ってきて修士号がとれる事となったと同時に、ボストンでアジア系のコンベンション運営のお話があり、東京の会社を辞めてそちらでお仕事をすべく再渡米することになりました。
ーしかしー
意気揚々再渡米したものの、運悪くその企画が資金難で頓挫することになってしまいました。
高学歴難民生活の始まり
そういう訳で、ボストンで就職活動を始めるのですが・・・ここから高学歴難民生活がはじまりました。
ボストンキャリアフォーラムの立ち上げの経験は、現地法人副社長にまでなったと言っても、特殊な技能が必要な訳ではありませんでした。
就労期間も短かったため、ジョブ型採用のアメリカでは適当なカテゴリーがみつからず、就職活動は難航。
どんな職種でもいいから、何とかアメリカでのビジネス経験を積もうとしても、大学院卒がネックになってエントリー・レベルの仕事につく事ができませんでした。
大学院卒がエントリーレベルの仕事に就くという事は、「エントリーレベルしかできない人の仕事を奪う」とされ、書類審査の段階で過剰資格 (Overqualification)で不合格になるのです。
そして最悪なことに、政治学専攻の学位では、移民法上政治学関連フィールド以外では就労ビザは取れないという規定があり、通常のビジネスでは門前払い。
ならば、少しは融通がきくかもしれない日系企業でと思い、日本から派遣される駐在員の秘書業務に応募したところ、「あなたはあなたの上司よりも学歴が上なんだけど・・・」と。
更に「アイビーリーグの大学院まで出ていて、何で秘書をしたいの?」と言われて撃沈。
いずれにしても秘書業務ではビザが取れる可能性はない為、秘書での就労は無理だったのですが、やるだけの事はやってみようかとトライしたもののどんどん傷つくばかりでした。
正攻法でアメリカの中の企業に就職する道は、絶望的でした。
やっと見つかったはずが・・・
そんな中、短い期間ですが日本の留学代理店のアメリカ現地法人事務所をボストンで開くというお仕事に恵まれました。
「国際交流促進」という名目で、何とか政治学との関連が認められ、就労ビザを得ることができました。
しかし、ここも私の未熟さ故、あっという間に自滅する事になってしまいました。
100%私のコミュニケーション不足が原因で日本の本社社長との行き違いで問題が起きてしまいました。
きちんと話し合えば、業務を続けて行くことはできたと思います。
ただ、時は1996年、インターネットの出現でアメリカでは新しい形態のビジネスに湧き上がっていました。
これを利用して何かしたいと考え、わくわくしながら色々なアイディアをめぐらせていた時に、
社長がひとこと、「インターネットは良く分からない。危険な事はしない」と。
そのひとことで、心の糸がプツンと切れてしまい、辞職させていただく事になりました。
「新しいことに挑戦できない」という超コンサバな器の中にいると気づいた時、酸欠を起こしてしまったのです。
起業して借金まみれ
ただ、この留学業界ならばアメリカの就労ビザが取れるという事が分かったので、独立して留学情報会社を起業する事にしました。
そして「インターネット」の話で舞い上がっていた私は「世界各国の留学情報を6か国語で情報検索できるサイトを作りたい!」と強くその構想を描き始めました。
ユーザーは世界の学生で登録無料、世界各国の留学生を受け入れたい学校からの広告収入で運営するという、当時は斬新なビジネスプランでした。
早速、ネット上でデータベースを構築できるという業者を探し、同時に学校への営業を始めて、ビジネスの好スタートを切ったようにみえました。
ただ、当時はまだ電話線を利用した14,400bpsモデムがようやく出現した時期。
文字だけで構成されているウエブサイトがやっと動く程度で、ウエブ上の画像の表示でさえノロノロとしていて難しい時代でした。
ネット上でデータベースを動かすなど、技術的に相当な難しい事で、多くの技術者が様々なプロトコールを作りながら試行錯誤の実験している状態でした。
私のアイディアにネット技術がついていっていなかったとは、文系の私には想定外のことでした。
そして、不幸なことにウエブ上のデータベースを作ってくれるはずのアメリカ人技術者にはお金を持ち逃げされ、借金だけ残りました。
仕方なく細々と留学代理店を運営し、学生さんのお世話をする日々が続きました。
それはそれで色々な学生さんと出会い、留学生活をサポートさせていただくのは楽しく、誠心誠意お世話させていただきました。
ただ、借金を返すほどの収入は稼げず、借金取りからは毎日催促の電話。
仕事どころじゃありませんでした。
企画大当たりで借金完済の奇跡
そんな時に、苦し紛れに「インターネットを利用してアメリカ永住権の抽選応募の代行業務を行う」という企画を考えました。
アメリカ政府は毎年抽選で該当国の応募者に対して永住権を付与するプログラムを実施しています。(今でも行われています。)
それをネットで日本からの希望者を募り、応募代行することにしました。
何とそれが大当たり!
新聞に企画の記事が掲載されたのです。
実は、その何か月か前、知人の紹介でボストンに出張で来た記者さんの通訳をボランティアでさせて頂いたことがありました。
借金取りに追われている最中の無料の奉仕は、内心大変複雑でしたが、楽しい取材経験でした。
ふとその記者さんの事を思い出してプレスリリースを送ったところ、「とても面白い企画だから追加情報を」と、企画の取材をしてくださり記事になったのです。
ある朝、突然コンピュータが壊れたと思うほど応募が相次ぎ、手が震えました!
即座にアルバイトを手配して業務フローを作りました。
そして、受付終了までの約二週間で借金完済ができる売上を上げる事ができました。
、、、しかし、そこでようやく振り出し。借金がゼロになっただけで、経営的には火の車。
それからは、またまた試行錯誤の繰り返しが始まりました。
まだアメリカの携帯電話のスペックが低く、日本語のフォントが使えなかった頃に、「日本語の文字を画像としてネットで表示する」というアイディアを出してシステムを開発してもらいました。
その技術を利用して「アメリカの携帯で日本語ウエブメール」というサービスを販売したこともありました。
当時参入が難しかった大手携帯電話の代理店になって、携帯電話とセットで売ってみました。
手当たり次第にやれる事を考えては小銭を稼ぐ日々。
しかしこれも携帯電話のスペック向上と共に、日本語のフォントを米携帯電話に搭載する事ができる様になり、ビジネスとしては沈没。
そして当の留学ビジネスは、日本の景気低迷が長引く中どんどんビジネス縮小へ。
2000年代になってからは日本人留学生もめっきり減ってしまい、日本に拠点を持たないネット上の留学ビジネスとしては、ほぼ成り立たなくなってしまいました。
高学歴難民シングルマザー
一時期、結婚、出産で経済的心配は少なくなった時期もありましたが、それもあえなく離婚となり、シングルマザーの道へ。
今度は子供を抱えての難民ですから、環境は一層悪化しました。
ちなみに養育費はゼロ。
思い返しても、どうやって生活が成り立っていたのか分からぬほど、小銭集めに奔走する日々でした。
アメリカ人に日本留学を斡旋する業務を足したりして細々と留学代理店の仕事を続けているなか、
通訳、翻訳、日本語教師、不動産屋の事務、ナチュラル・サプリの日本向け販売事業の立ち上げ、フリーランスで国際政治リサーチ・アシスタント、米企業向け対日ビジネスコンサルティング、仮想通貨レーティングサイトの翻訳、はたまた私立学校でピアノ教師まで。
在米高学歴難民シングルマザーは、与えられた環境の中でいただいたお仕事は、何でもやって参りました。
こんな経歴ですからジョブ型採用にはマッチせず、フルタイムの仕事には恵まれませんでした。
どれもパートやフリーランスだった為、親子二人の生活を賄う事ができず、常にいくつもの仕事を掛け持ちしながらの生活でした。
ただ、私が大変恵まれていたのは、常に影となり日向となり応援してくれた家族や友人たちがいた事でした。
子供の学校の費用を肩代わりしてくれたり、安い住居を提供してくれた友人。
苦しい時にはお金を工面してくれた友人は、「いつでも言ってね」と言って私のセーフティネットになってくれました。
このセーフティーネットのお陰で大きな不安が解消され、希望をもって「やれるだけやってみよう」と全力を尽くす事ができました。
勤務先の学校で大怪我をして休職した時には、父兄が募金を募ってくれて本当に助かりました。
高齢の母からは金銭的な援助はほとんどなかったものの、
「あなたはいつかは必ず成功するから。多くの人のお役にたつ人だから。」
と、常にポジティブな言葉で励ましてもらっていたのも大きな支えとなりました。
“ギフティッドあるある”の虚弱体質
更にもう一つ、大きな難点が。
ようやく自分自身で受け入れることができるようになりましたが、私は人並み外れて体力がないのです。
気力だけは人一倍あるのですが、体力がそれについていかずアンバランスなのです。
気力が前面に出ているので一見では分かりませんが、私の場合は幼少の頃からの片頭痛持ちで持久力がないのです。
すぐエネルギー切れになります。
朝から活動している場合には、どこかの時点で一回20分ぐらいナップタイムが必要なので、大学時代は構内での昼寝場所を常に確保していました。
そんな自分が嫌で、運動をしたり、体力をつけようと努力するのですが、いつも全て裏目に出て病気になったり怪我をしたり。
実は数年前にも、気力と体力のアンバランスから生じた不慮の事故で、アメリカで足を複雑骨折してしまい4回の手術。
現在もなお歩行困難でリハビリ中です。
ここ数十年、こんな自分に自己嫌悪、自己処罰の連続。
どうして人並みに動けないのか悩みました。
でも、ようやくこの年になってそんな自分を受け入れる事ができるようになり、自分の肉体的な限界を知り、「自分のペース」をリスペクトできるようになってきました。
高学歴難民ギフティッドの方で正就職が体力的に続かない方、体力増強をはかる努力をしながらも、私のように裏目裏目に出てしまう方、いらっしゃいませんか?
きっと、このように気力と体力のバランスが取れていない方もいらっしゃるのではないかと思います。
その様な方は、是非ご自分の体力の限界を受け止めて、頑丈な人と同じような働き方をしようとせず自分のペースで仕事ができるような職場を選んだり、キャリア構築をなさることを是非ともお勧めします。
虚弱体質も、“ギフティッドあるある“なのです。
それでもアメリカ
そんなに苦労しながら、しかも、体もさほど丈夫じゃないのに何故アメリカに残ったか、とよく聞かれます。
様々な理由が挙げられますが、一番の要因は日本での女性の地位の低さではないかと思います。
お気づきじゃない方もおられるかもしれませんが、アメリカの目から見ると日本はまだまだ男性優位な社会。
日本では、常に自分が「女性」であるという事を意識せざるを得ない状況が多々あります。
封建制度の名残があり、特にシングルマザーは「結婚生活に耐えられなかったひと。貧困は身から出た錆。」として懲罰的な扱いをしていると見受けられる事も多々あります。
そしてパートタイムの時給やステータスの低さ、女性の活躍の場の制限など、日本は厳しい環境だと思います。
一方、アメリカではバリキャリのシングルマザー仲間は沢山いますし、シングルマザーに対するサポートも手厚いです。
アメリカ永住権を得てからは、パートタイムやフリーランスで働くにしても幅広い選択肢がありました。
ビジネスをするにしても交渉するにしても、相手が女性である場合が日本に比べて圧倒的に多く、女性が働く環境としては日本とは比べようのないほどリベラルで多様性に富んでいます。
そして「女性だから」という差別はほとんど感じませんし、時給も年収も圧倒的にアメリカが優位です。
余談ですが、私はフロリダの中小企業の社長や役員と一緒に、コンサルタント兼通訳として日本の大手上場企業の東京本社を訪問した事がありました。
初めてアメリカの取引先が来日するという事で、日本企業の方は大変気を使ってくださっていらっしゃいましたが・・・
エレベータに乗る時はフロリダご一行様の後、日本の社員が乗り込み私は一番最後に乗ることに。
ここでまず、一同眉を上げてびっくり。
会議の並びも、私は末席に行くような席順ができていました。
フロリダの社長が隣に座るようにと指示してくれたので、何とか末席から昇格してフロリダ一行の間に着席することに。
食事に行けば、どこでも申し合わせたように男性陣に最初に食事を給して私は一番最後。
フロリダの社長が気の毒がって、食事を取り分けてくれたり飲み物を渡してくれたり。
海外取引先メンバー>日本企業男性担当者>日本女性
フロリダご一行様は、こんな図式を書いて、日本の担当者達が私をフロリダの企業のチームメンバーとしては見なしていない事にびっくりしていました。
目を丸くして「日本はレディー・ラストなんだ」「中東のようだ」と、口々に驚きを語っていました。
・・・そういう訳で私はアメリカに残る事を選択しました。
ようやく自分を許せるように
私の中では、自分の高学歴難民生活を責め続けてきた人生だったように思います。
高学歴でありながら、他の方のような成功を収めることができず、学費を工面してくれた母に申し訳ないとばかり思っていました。
もう60歳過ぎましたが、ついこの間まで自分のスペシャリティを作るべく悪戦苦闘していました。
しかし、手前味噌ではございますが、この「賢者の人事」を運営している経営人事パートナーズの社長のひとことで、長らく苦悩していた事から開放されました。
「私のすべての経験は薄っぺらである。」と嘆く私に、
社長の山極は
「何を言っているんですが、こんなに沢山の経験をなさった人はそうそういませんよ」と。
このたった一言で長年の自責の念から解き放たれました。
そう、一つ一つは薄っぺらな経験であっても、それを束ねれば辞書ぐらいの厚さになっていたのですね。
気づけば、一昨年に帰国するまでアメリカ生活は40年にもなっていました。
その間、学生、会社員、起業、教員、母親など様々な経験をしてきました。
アメリカ国内で設立した会社は4社あります。
アメリカでの会社登記や会計をはじめ、ウエブサイト構築から動画制作、データベース作り、マーケティングなど、どれもプロではありませんが、一通りはこなせますし、業者に指示もできます。
アメリカ永住権を得るまで約25年かかりましたが、その間に取得してきた数々のアメリカ就労ビザの関係で、その知識は移民弁護士並ではないかと思います。
アメリカ留学・教育一般に関してはかなりの知識とネットワークを得ました。
借金に追われ、自己破産の危機は二度ありましたが、何と二度も奇跡が起こりました。
42歳で双子を妊娠しましたが、片方を流産。流産と出産を一度の妊娠で経験したこともありました。
アメリカでの子育て、教育、ママ友付き合いなども一通り貴重な経験しました。
高学歴難民と呼ばれるのみなさん、皆さんも様々なご経験をなさっていらっしゃる事と思います。
その皆さんの難民経験こそが財産なのだと、声を大にして申し上げたいです!
人と違うからこそ、価値があるのです。
高学歴難民は百科事典になりうる人材なのです。
讃めてあげてください。
何よりも、あなたは選ばれしギフティッドなのだと、自覚してください!
あなたにもしも足りないものがあるとすれば、自分を愛してあげる事ではないかと思います。
高学歴難民の生き方のヒント
人とは違う考え方、生き方の中で高学歴難民ギフティッドとしていかに生きていくか。
高学歴難民ギフティッドの先輩として、そして、いまだに自分の可能性を信じてページを重ねている者として、皆さんのご参考になればと思い、いくつかヒントを挙げさせて頂きたいと思います。
1)自分をとことん信じる。
唯一無二の自分を信じてください。
人と自分を比べないでください。
冒頭でお伝えしたように、完璧主義のギフティッドは自己肯定度が低く、自身を過小評価しがちなのです。
同時に、周囲の雑音も大変気になります。
一見、高学歴は華やかに見えるので、それに見合う活動ができていなかったり、社会的地位に反映されていなかったりした場合、「高学歴なのに・・・」という雑音が聞こえてくる事があります。
それらは残念ながら、心無い方々の高学歴に対するコンプレックスや妬みのサンドバッグである場合もあるでしょう。
また、遠慮容赦のない身内からも雑音が聞こえてくる事も多々あるのではないでしょうか。
しかし、この雑音をよくよく聞いてみると、外から発せられているように見えて、実は自分の内部から発せられているとは思いませんか?
自分の内部の叫びが、自分の自己否定が外から反響して聞こえているのです。
自分の中に、「高学歴なのに・・・」という負の思いさえなければ、聞こえないのです。
たとえ聞こえて来ても
「そうなんですよ、困ったものです。大三元ドラ3テンパイしっぱなしの人生なんです!」
と、笑い飛ばせるのです。
麻雀をなさらない方に補足させていただきますと、大三元ドラ3テンパイとは、「大三元だけでも最大点数を得られる役満という難易度の高い上り手に、それ以上カウントされない無駄と思われるボーナースポイント<ドラ>が更に3つある手が、既に手の内に出来上がっているものの、上がれずにひたすらチャンスを待っている」そんな状況です。
自己肯定感を高め雑音を笑い飛ばす図太さを持ち、そして自分にとっての最大のチャンスは「今から来る」と、是非とも信じていただきたいと思います。
高学歴として最高のものを見たり学んだりしているが故に、自分の未熟さが見えてしまって中々自己肯定ができないのですが、世の中を見回せば意外と「そんな程度」と思われる事でも通用する事も多いのです。
私はピアノを習っていましたが、音大なんてほど遠くキーボード奏者としても経験浅くボロボロ。
本当に趣味の域を超えない下手の横好きでしたが、”クラシック畑ではなくても良い。むしろ多様な曲を弾ける、そして子供に教えるのが上手な人を求む”、という求人にマッチして、私立学校の教員としてお役立ちできる棲家を見つける事ができました。
私たちが思うほど、ハードルは高くなく、AS IS(そのまま)でお役にたてる場所は広い世間にはある様です。
2)凡人には天才が分からない
周囲の方々は別に悪気がある訳ではないのですが、その多くは前例や常識・慣例に基づいてアドバイスをして下さる方々がほとんどだと思います。
この賢者の人事の記事で、「世界を舞台に輝く:グローバル人材への条件」を書かせていただき、Think Outside the Boxの考え方をご紹介しました。
Think Outside the Boxとは創造性や革新性を象徴する言葉で、直訳すると「箱の外を考える」となります。
日本流に言えば「枠にとらわれずに創造的なアプローチをする」「常識にとらわれずに考える」「発想の転換」「斬新なアイデアを出す」「新しい視点を持つ」という事でしょうか。
このフレーズは、枠にはまった考え方を超えて新しいアイデアや解決策を生み出すとして、アメリカで頻繁に用いられています。
アメリカでは初等教育の過程から、枠に囚われない考え方を奨励して子どもたちを育んでいます。
対して日本では、幼い頃から社会が作り出した期待に答えるべく同じ価値観を持って行動し、調和をはかることによって社会の秩序が整えられてきました。
言わば、枠の中にいかに整然と収まるか、という価値観なのです。
日本では、よほど突出た才能を有していない限り、枠の外に属する人たちや枠の外の価値観を認めることはありません。
枠の中の人は枠の外が理解できない領域なので、勝手に「負け組」「レールから外れた人」など、様々なレッテルを貼ります。
会社において「前例がない」「誰が責任を取るのだ」「リスクが見えない」などと発言する人々も同様に、枠組みの中の価値観だけしか理解し得ない方々です。
あなたは、そんな社会の中に生活しながらも秀出した逸材なんです!
木に登るのが苦手でも、大海で泳ぐことができる存在なのです。
あなたはあなた。どうか自分の信じる道を、自分らしく生きてください。
凡人にはあなたの価値が分からないのです。
だから、あなたを理解してくれるキャパシティのある職、会社、上司を求めていきましょう。
お若い方ならば、日本とは価値観の違う海外での生活に思い切ってチャレンジしてみても良いのではないでしょうか。
会社名や職種そして国にすらとらわれず、「あなたが輝ける余地のある仕事か」という事を第一に、「あなた」が主人公になってキャリア開発をしていくことを目指しましょう。
3)人脈命
かと言って、生きていくためには収入を得なければなりません。
一般的に、日本では何度も転職していたり、ニートになってしまった場合には正攻法の就職は難しいかもしれません。
日本って本当に変ですね。難しいですね。
ただ、あなたご自身にお聞きしたいのですが、本心から安定した地位や生き方を望んでいるでしょうか?
おそらくあなたは型どおりの生き方には興味がないし、型にははまれないのではないでしょうか。
それはギフティッドの「性(さが)」だと受け止め、ギフティッドならではの特性を生かして、どうか「自分なりの生き方」を模索してください。
そんな中、チャンスを得るためには、「人脈命」です。
ギフティッドの皆さんの中には、対人関係が苦手な方もいらっしゃると思いますが、常に「人脈」を意識して生活をする事をお勧めします。
そんな人脈を構築するのにはどうしたらいいかー
目の前の事は全て天命
☆ボストンキャリアフォーラムを立ち上げた時、私は単なる通訳から現地コーディネーターのアルバイトに、そして現地法人の副社長になりました。
☆借金苦から脱出できたのは、新聞記者への通訳ボランティアでネットワークができたのがきっかけでした。
☆政治学の専攻でありながらフロリダの学校でピアノの教師に抜擢されたのは、課外活動のミュージカルでピアノの伴奏を無償で引き受けたからでした。
常にポジティブなマインドセットを持って、仕事の大小に関わらず眼の前に与えられたことに対して真心をもって尽くしていると、人との信頼が築かれて道は必ず開ける、そんな事を学んできました。
また、見えない人脈というのも存在します。
たとえば、あなたが今素晴らしいアイディアと資金を得て、起業するとします。
立ち上げ時に協力者が必要な時、どの人に声をかけるか、考えて見てください。
「あの人なら、情熱を持って参加してくれそうだ」
「この人なら、会計関係を任せられそうだ」
そう思いあたる人がいるでしょう。
一方、
「あの人はいつも文句ばっかり言っているから、一緒に仕事をしてもすぐ不満をもらすだろうな・・・」 とか
「あの人は仕事はできるけど、何となく一緒に仕事をする気になれない・・・」
そういう漠然とした印象を持つ人もいるでしょう。
実は、人は無意識に周囲の人の評価を行っているのです。
「あの人なら多才だし、きっと良い協力者になって明るく事業を引っ張っていってくれるだろう。」
・・・そんな風な雰囲気を作れるような自分づくりのために、高学歴難民の方が一番必要なのは、「人を引き付ける明るさ」ではないでしょうか。
既に高学歴難民の皆さんは十分な知性、能力、感性をお持ちです。
心に明るさを灯もし、気安く声をかけていただけるような雰囲気を作り、目の前のあることに全力を尽くす・・・そんなところに高学歴難民ギフティッドの棲家がみつけられると思います。
4)趣味を続ける
ギフティッドの方はほぼ全員と言っていいほど、何かにこだわりがあり多才であったり、「お金にならない趣味」があったりします。
周囲の雑音にまどわされず、趣味は滋養として是非続けましょう!
お金になろうとなるまいが、人生には無駄がないのです。あなたにとっての大切な財産です。
私は小さい頃からピアノを習っていたものの、さほど才能がある訳でもなく手も小さくて1オクターブやっと届くぐらいの大きさで、クラシックを弾くには限界がありましたし、決して上手ではありませんでした。
ただ、絶対音感があるので、知っている曲はポップスでも何でも耳コピーで弾けるという特技がありました。
そこで、自由度の高いエレクトーンも習うことにしてコード理論を学び、それが講じで高校ではロックバンドのキーボードとしていくつものバンドをかけもちしていました。
アメリカでお金がない時でも、安いキーボードを買ったりしていつも鍵盤とは一緒に過ごしていました。
☆大学時代に日本語のクラスの代講を頼まれたことがあり、その時にキーボードを持って大学の授業で日本の歌を教えたのがきっかけで、ボストン日本語学校の教員にスカウトされました。
☆私立学校でピアノ教師をしていた時に、丁度ボヘミアン・ラプソディの映画が大ヒットしたので、ロックバンド時代の杵柄でクイーンの曲を披露すると、ピアノを受講する生徒が倍増し個人レッスンの申し込みは3倍になりました!
ロックバンドの経験がこんな所で役立つとは・・・とびっくりしました。
「芸は身を助ける」
何がどこで役に立つか分かりません。
趣味は是非大切に、心に潤いを持ち、自分のセーフプレースとして確保してください。
そしてそれを有償無償に関わらず、喜んでもらえる人はいないか?役立てる場所がないか?是非とも見回してみてください。
5)専門書ではなく、百科事典を目指す
高学歴難民の皆様は、ひとことで言える大きな「タイトル」がないので難民とされているのではないでしょうか。
タイトルとは英語で肩書や職名、所属を意味します。
逆に言うと、皆さんは、一言で言い表すことのできない人生を歩んでいらっしゃる希少な方々なのです。
一言で表す事ができるタイトルを「専門書」とするならば、我々はその分野には入れない事もあるでしょう。
ただ、前述のように一つ一つは薄っぺらだと思しき経験であっても、重ね合わせれば厚くなるのです。
是非とも百科事典の人生を目指しましょう。
高学歴難民ギフティッドの方ならば、今からでも沢山やれる事、やりたい事があると思います。
きっとどの分野でも時間の問題で、輝く事ができる才能をお持ちだと思います。
私は、たとえ一つの分野で成し得なくても、”様々な事に挑戦するという経験”が財産になっていくのだ、という事をこの年になって学びました。
冒頭の質問を私自身に問うてみてみました。
高学歴を目指さず、普通に日本の大学に通った方が幸せだったのか、と。
私は、そもそも普通の生活ができないから、アメリカに留学しアメリカで生活する事を選んだのだと思います。
私にとっては、日本の決められた枠の中で生活する方が茨の道だったのだと思います。
シングルマザーとしてアメリカで様々なチャレンジを乗り越えてきて、今現在、日本では母の介護と私自身の歩行困難という足かせを抱えています。
しかし、それはそれで「人生の筋トレ」と言うのでしょうか、それは不可抗力な不幸な出来事の様に見えても、私の潜在意識では困難に戯れながらアウトカム(結果)を楽しんでいるのではないかと思います。
そして沢山の経験を通して、これをお読みの高学歴難民ギフティッドの皆様にこうしてエールを送ることができる、そんなお役立ちの仕方ができる事は幸せだな、とつくづく感じます。
ここまで来たら、この先の人生、あと何ページ足すことができるかに挑戦したいと思っています。
高学歴難民の皆さんも、是非、沢山のページを増やして、厚みのある、味わいのある人生を楽しんでください。