
夜も更けた午後11時ごろ。
翌日の演習で使う資料ができていないことに、私は多少のストレスを感じていました。
資料を作ることそれ自体はそれほどコストの高い作業ではありません。
昨年度の資料をブラッシュアップするだけなので、1時間もあれば十分に終わる作業量です。
問題はすでに夜中であるということ。
最近寝不足気味であったし早く寝たい。
vs
明日の自分にタスクを残すのは申し訳ない。
というより時間に追われたくない。
そんなせめぎ合いが頭の中で繰り広げられること10秒ほど。
意を決して作業を開始した私の目の前にあったのは、すでに完成された資料でした。
なぜすでに完成していたかといえば、2週間前の自分が作成していたからです。
おそらくその時は「少し手が空いたし、とりあえず作っておこう」程度の気持ちだったと思うのですが、今日の私から見れば神々しいまでのありがたさと言っても過言ではありません。
できることならお礼に美味しいケーキでも渡したいくらい。
2週間前の自分に心よりの感謝を捧げたくなりました。
ところで、この完成されたファイルが「2週間前の自分が作成したものである」と確信できたのは、当然その記憶があったからでした。
もし仮に作った記憶がなければ、「これは誰が作ったものか?」「もしかして、昨年度版のまま、更新日時だけが新しくなっていたのではないか?」という疑いの目を持つ必要が出てきてしまいます。
そうすると結局作業時間が必要になり、感謝の度合いは薄れてしまったに違いありません。
今回完成された資料は私自身が頑張って作業をしたものであったため、苦もなく「これは自分が作成したもの」と見分けられ、そして最新版である確信が持てました。
ですが仮に、生成AIにほとんど作ってもらっていて、記憶に残っていないとすればどうでしたでしょうか。
そしてそもそも私たちは「生成AIが作ったもの」と「人間が作ったもの」をきちんと見分けることができるのでしょうか。
最近、生成AIの出力に、いわばウォーターマークのようなものをつけるための研究論文が発表されていました。
【MarkTune: Improving the Quality-Detectability Trade-off in Open-Weight LLM Watermarking】
https://arxiv.org/abs/2512.04044
この論文では、生成AIのモデルに重みを付与することによってウォーターマークを付与できること、さらに、生成されたものの品質を落とすことなくウォーターマークを付与するための方法論について述べられていました。
実はこれまでも「いかに生成AIの出力であるか」を識別するための研究は進められており、今後の発展が期待される分野の一つでもあります。
私たちの生活に多くな影響を与えうる生成AIではありますが、共存のためにはまだまだ解決すべき課題があるようです。
P.S.
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https://48auto.biz/keieijinji/touroku/sp/scenario13.htm
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