定期的な「ショック」によるモチベーション向上策

モチベーションを維持するために定期的な「ショック」が必要だったのですが、果たしてAIに継続アップデートは必要なのでしょうか。

私の人生、振り返ると「運動しなきゃ!」と思うポイントがいくつかありました。

思い出せば小学生のころ。

市の陸上競技会で800m走に出場することになったのですが、体力をつけるための練習が非常につらかったことを思い出します。

ダッシュして、少しジョギングして、またダッシュして…

サッカーをして水泳をして、ある程度運動をしていたはずですが、それでも練習後はいつもへとへとでした。

それでも大嫌いな持久走を頑張れたのは、周りの友人に負けたくない、という気持ちでした。

 

次は高校生の頃。

中学高校と吹奏楽で運動から離れている私には、持久走はとてもつらい時間でした。

体育で2kmの持久走を走ると顔が真っ赤になってしまい、とても恥ずかしかった記憶があります。

それでも授業なので、強制的に走らなければいけません。

どうせ走るのなら、もっと楽に走りたい!とほんの一瞬だけ、ジョギングをしたりしていました。

 

極めつけは大学生のころ、指導教員に言われた一言でした。

「山極さんって、体力ないよね」

当時私は22歳。

指導教員はおそらく50歳手前。

まさか、親と変わらぬ年齢の方に体力のなさを指摘されるとは…。

事実なので何も言えないのですが、ひそかにショックを受けていました。

体力を付けよう!

そこから一念発起して、趣味でジョギングをしてみたり、あるいはボクシングジムに通ってみたり。

最近は少しさぼり気味ではあるのですが、多少の体力はついただろうと期待していたのですが、またしても悲しい事態に見舞われました。

 

この土日で行われた、とある大学のイベント。

135kmの道のりを2日かけて歩くイベントで、悲しいかな、私は1日目の夕方でリタイアしてしまいました。

周りを見れば、リタイアしている人はほとんどおらず。

ただ歩くだけでしょ、と甘く見ていたスタート前の自分に喝を入れたい気持ちでいっぱいです。

 

こういった体力不足を実感するイベントに出会うと毎回、「必ず体力をつけてやる!」と意気込むのですが、その効力は長くはもちません。

ただ、今回の衝撃と悔しさはとても大きかったので、今まで以上にはモチベーションが上がるのではないかと期待しますが、それでもやはり、今日このときほどのやる気を出すことは難しい気がします。

定期的に自分を奮い立たせなければいけません。

いわば、自分を奮い立たせるための気持ちのアップデートが必要ということになります。

 

ところで、この「定期的なアップデート」は、AIでも必要なのでしょうか。

例えば文章を生成するAIでは、ほとんどの場合不要と考えられます。

実は、chatGPTを構成するモデルを学習したのは数年前で、そのために新しい情報は答えられない、といった但し書きがあります。

しかしもし仮に、自然な言葉を出力してほしい、という要件だけを考えるのならば。

数年たっても言葉の構造は変わらないため、定期的なモデルの更新はそれほど要求されません。

定期的に何かをすることなく、常に有効な手段を提供してくれる。

一度素晴らしいものを作ってしまえばそのまま活用できるというのは、とても頼もしいことです。

 

一方音楽について考えてみると、この流行り廃りは言葉の変化に比べて非常に速いように思います。

つまり、数年前のデータで学習された音楽生成AIでは、最新の流行曲のような旋律を作ることは難しい、と言えます。

 

ふと自分を振り返ってみると、モチベーションをわざわざ向上させなくても、すでに習慣化できたことがいくつもあります。

もしかすると体力作りも、習慣化できればモチベーションの定期的な向上は不要になると言えるかもしれません。

ですが、継続的なアップデートが必要なAIモデルにおいて「習慣化できたからアップデートは不要である」とはなりません。

AIにとって、反映されない情報は存在しないものと同じです。

 

人間とAI。

継続することに関しては、全く違う思考回路を持っているようです。

 

 

P.S.

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大学にてデータサイエンスを学ぶ傍ら、多くの人にデータ分析の面白さを伝えたいと日々奮闘中。