誰かに教えたくなるゴルフトリビア~「ゴルフクラブ」と「カントリークラブ」は何が違う?
思わず誰かに教えたくなるゴルフトリビアをご紹介する新シリーズ。今回は、「ゴルフクラブ」と「カントリークラブ」の違いについてです。
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思わず誰かに教えたくなるゴルフトリビアをご紹介する新シリーズ。
今回は、「ゴルフクラブ」と「カントリークラブ」の違いについてです。
「ゴルフクラブ」と「カントリークラブ」に違いはあるのか
日本に2,000以上あるゴルフ場。その多くは、名称の最後に「ゴルフクラブ(倶楽部)」か「カントリークラブ(倶楽部)」のいずれかがついています。
コースにやってきてプレーを楽しむ分には何ら違いが感じられないこの二つ。一体何が違うと思われますか?
そもそもの成り立ちが違う両者
「ゴルフクラブ」と「カントリークラブ」の違い、それは一言でいえば「そもそもの成り立ちが違う」ということになります。
前者は、ゴルフ発祥の地と言われるイギリスで組織された、ゴルフ愛好者の集まりに端を発する言葉。
一方の後者は、アメリカの田舎に作られたスポーツ交流施設がルーツの言葉なのです。
そしてこの二つの言葉は、ゴルフの歴史や広がる過程にも深く関係しています。
続いては「ゴルフクラブ」と「カントリークラブ」の言葉の成り立ちについて、それぞれ詳しくご紹介していきましょう。
「ゴルフクラブ」はイギリスのゴルフ愛好者の集まりに由来
イギリスで最も古い、つまり世界で最も古いと言われるゴルフクラブ組織には、二つの説があります。
一つは、1608年にロンドンで結成された「ブラックヒース・ゴルフクラブ」とする説。
もう一つは1744年にスコットランドのリースで発足した、「ジェントルメン・ゴルファーズ・オブ・リース」とする説です。
説が分かれているのは、「何をもってゴルフクラブという組織の成り立ちとするか」で見方が分かれていることによります。
そもそもゴルフというゲーム自体は、1400年代の前半にはスコットランドで成立していたという見方が一般的です。
当時は今のようにゴルフコースというものがある訳ではなく、リンクスと呼ばれる海に面した砂地において棒でボールを打ち、地面に開けられた穴に向かって打っていくというというスタイルでした。
このゲームは人気となり、王侯貴族たちも城や王宮の庭で楽しむようになっていきます。
終いには、緊張関係にある隣国イングランドへの備えに支障をきたすと考えた代々のスコットランド王が、1457年から3度にわたってゴルフ禁止令を出すほどでした。
その後、スコットランドとイングランド両国関係の変化により、人の往来が活発になります。
そんな中、1603年にスコットランド王がイングランド王も継承する事となってロンドン入りした際、スコットランドの王家に保護されていた「フリーメイソン」と呼ばれる石工のギルド(職人)組織の面々もロンドンへやってきました。
現在にも続く世界的な結社「フリーメイソン」のルーツです。
そして彼らは定期的に集まって夕食をするようになり、さらには夕食する前にお腹を空かせる目的でゴルフコースを作ったうえでゴルフを楽しむようになります。
これが「ブラックヒース・ゴルフクラブ」の始まりです。
一方のスコットランドでも、禁止令の発令をものともせずにゴルフは盛んに行われ続けていました。
そんな中、ゴルフ帰りに地元の居酒屋に集っていた熱心なゴルファー達の中で、ゴルフクラブ結成の話が持ち上がります。
彼らがゴルフクラブの取り組みとして考えたのは、次のような事です。
・メンバー全員で定期的に集まり、プレー後に飲食を共にする。
・毎年1回、競技会を行って優勝者を決め、優勝者は以後1年間クラブ・キャプテンを務める。
また併せて、競技におけるルールの制定や競技会優勝者に贈るシンボルの制作も考えました。
これにスコットランドで強い政治力を持っていた当時の裁判所長官が賛同。彼の尽力で、エディンバラ市から「シルバー・クラブ」と呼ばれる銀製クラブの寄贈を受けます。
また、メンバー達は13か条からなる競技ルールも作成。
かくして1744年に「ジェントルメン・ゴルファーズ・オブ・リース」が結成されました。
ゴルフ歴史家は競技ルールの制定といった取り組みを踏まえ、こちらが世界最古のゴルフクラブ組織としています。
その後「ジェントルメン・ゴルファーズ・オブ・リース」は、1800年に法的に認められた組織となったのを機に「ジ・オナラブル・カンパニー・オブ・エディンバラ・ゴルファーズ」へと改名しました。
クラブの創設以来、市有のコースや他のクラブとコースを共用する形でゴルフを楽しんでいたのですが混雑ぶりに嫌気がさし、自分たちのクラブ専用のゴルフコース所有を計画します。
そして1891年に念願のホームコースは完成し、クラブは移転。
そのコースは「ミュアフィールド」の名で知られる、世界的名コースとなっています。
「カントリークラブ」はアメリカの郊外に作られたスポーツ中心の交流施設をさす言葉
一方の「カントリークラブ」についてですが、本来の意味はアメリカのcountry(田舎、郊外)にあるスポーツ中心の交流施設をさす言葉です。
アメリカの「カントリークラブ」においては、ゴルフコースのほか、ジムやプール、テニスコート、ポログラウンドなどの施設を有しています。
また、レストランやバーがあるクラブも多く、パーティーや結婚式が行われることも珍しくありません。
数あるカントリークラブの中でもとりわけ長い歴史を持ち、アメリカのゴルフにおいて大きな役割を果たしたのが、1882年設立の「ザ・カントリークラブ」です。
マサチューセッツ州ボストン郊外にあるこのクラブにゴルフコースが作られ始めたのは、1893年のこと。1899 年までに18 ホールに、最終的には27ホールにまで拡張しました。
アメリカのゴルフにおいて大きな役割を果たした理由の一つが、1895年の全米ゴルフ協会(USGA)設立において、母体となった5つのクラブの一つに名を連ねたこと。
そしてもう一つの理由が、1913年に当地で初めて行われた全米オープンにおいて、地元出身で20歳のアマチュアであったフランシス・ウィメットがウォルター・ヘーゲンやハリー・バードンといった有名ゴルファーを破って優勝を果たしたことです。
この優勝によってアメリカではゴルフブームが起こり、ゴルフの大衆化を大いに進めることとなりました。
ちなみに全米オープンはその後も1963年、1988年、2022年に開催され、2038年の会場にも決定しています。また、2045年には全米女子オープンも開催予定です。
日本におけるゴルフクラブとカントリークラブの始まり
最後に日本におけるゴルフクラブとカントリークラブの歴史についてご紹介しましょう。
日本で最初にできた「ゴルフクラブ」は、1903年(明治36年)設立の「神戸ゴルフ俱楽部」です。
その2年前、英国人のアーサー・ヘスケス・グルームらにより神戸・六甲山に作られた日本初のゴルフ場が4ホールから9ホールへ拡張されるタイミングで設立されました。
現在のコースは全18ホール、4,049ヤード・パー61のセッティング。パー3が11ホール、パー4が7ホールで、パー5はありません。
全長を見るとたいしたことがないように思われるかもしれませんが、パー3のうち150ヤード以下のホールはわずかに1ホール。一方、190ヤード以上のパー3が5ホールもあります。
加えて、キャディがバッグを担ぐスタイルのため、使えるクラブは10本以内という制限付きです。
「カントリークラブ」と名の付くゴルフ場が日本で最初に登場するのは、1920年。現在の神戸市・垂水にできた「舞子カンツリー倶楽部」がそれです。
後に社長まで務める日本綿花株式会社(現・双日)の南郷三郎らを発起人として作られました。
この時に同時に誕生した日本初がプロゴルファー。福井覚治が倶楽部付きのプロゴルファー兼キャディーマスターに任命されたのです。
その後「舞子カンツリー倶楽部」の組織は解散しましたがコースはそのまま残り、戦後の1951年(昭和26年)に設立された「垂水ゴルフ倶楽部」のクラブコースとして現在に至っています。
こちらもフルバックで5,661ヤード・パー70と全長は短いものの、谷越え、池越え、打ち下ろしなど変化にとんだホールは距離以上に長く感じさせます。
また、数ホールから明石海峡大橋が望める眺望の良さも売りの一つです。
なお、東日本における最古の「ゴルフクラブ」は1913年(大正2年)設立の東京ゴルフ倶楽部、「カントリークラブ」は1922年「程ヶ谷カントリー倶楽部」です。
また、中には「カントリー」ではなく「カンツリー」としているクラブもありますが、昔は英語の「country」を「カンツリー」ともカナ表記していたというだけで名前以外に大きな違いはありません。