2024年マスターズプレビュー②~変わり続けるマスターズとオーガスタ・ナショナル~
2024年マスターズプレビューの第2回は、マスターズとオーガスタ・ナショナルGCの変化の歴史について取り上げます。
3回シリーズでお届けする2024年マスターズプレビューの第2回。今回は、マスターズとその開催コースであるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブの変化の歴史について取り上げます。
「友人を招いてのプライベートコンペ」が「ゴルフの祭典」に
マスターズ、そしてオーガスタ・ナショナルの歴史は、1人の男の想いから始まります。
彼の名は、ボビー・ジョーンズ。全英オープンで3回、全米オープンで4回、全英アマで1回、全米アマで5回の優勝を飾り、「球聖」と呼ばれるアマチュアゴルファーです。
中でも1930年は、5月にセントアンドリュースで行われた全英アマで悲願の初優勝を果たすと、その後の全英オープン、全米オープン、全米アマでも優勝。
当時のマスコミはこの快挙を、トランプゲームのコントラクトブリッジにおける完全勝利の呼び名にならい「グランドスラム達成」と報じました。
しかしその代償としての肉体的、精神的な疲労は大きく、グランドスラムを果たした同年に競技ゴルファーからの引退を発表します。28歳のことでした。
引退後、ジョーンズは親しい友人たちと気軽にプレーができるプライベートコースの実現に動きます。
そして、自身がプレーをして感銘を受けたサイプレス・ポイントクラブの設計家であるアリスター・マッケンジーの協力を得て、1933年にオーガスタ・ナショナルGCをオープンさせました。
理想のコースを完成させたジョーンズは、次に当地での全米オープン開催を構想。
主催者である全米ゴルフ協会(USGA)の幹部も前向きだったのですが、「毎年6月の開催時期は動かせない」と伝えられます。
オーガスタの6月は気温40度、湿度90%となり、ゴルフどころではありません。あえなく、この話は流れてしまいます。
「それなら一番気候の良い春に、かつて一緒にプレーした友人達や選手を招いて自分たちの大会を開こう」と思い直したジョーンズ。
こうして1934年に、盛り上げ役として参加したジョーンズ自身も含む72名の招待選手によって、いわばジョーンズのプライベートコンペとも言える「オーガスタ・ナショナル・インビテーショナル・トーナメント」と名付けられたマスターズが始まったのです。
それから今年で90年。豪華な選手の顔ぶれ、美しくも難しいコース、繰り広げられる名勝負により、いまやマスターズは「ゴルフの祭典」として世界中のゴルファーの憧れとなりました。
広がり続ける祭典の舞台
今やマスターズ期間中のオーガスタ・ナショナルには、一日で約50,000人ものパトロン(マスターズではギャラリーのことを「パトロン」と呼びます)が押し寄せます。
加えて選手やクラブの関係者、世界各国のメディアが集まってくるのです。
これらに対応すべく、クラブ側はコース周辺の土地を購入して、新たなドライビングレンジやプレスビルディング、オフィシャルショップ、トイレを設置。施設を拡充し続けてきました。
また、パトロン向けの広大な無料駐車場も設けています。
一説にはコースのオープン以降、新たに購入した土地の合計は110エーカー(約45万㎡、東京ドームの9.5個分)と言われており、コースの延長と共に毎年の恒例トピックとなっている感すらあります。
その土地購入や施設の充てられる資金の主な収入源も、やはりマスターズ。
米経済メディアの「フォーブス」は2022年に、チケット販売、物販、国外のテレビ放映権、コース内飲食売店売上の合計で1億4100万ドル(約210億円)の収入があると推定しました。
また、300人ほどいるとされるクラブのメンバーには、コースや施設を改修する度に寄付の依頼が届くとの話もあります。
世界のアマチュアに門戸を広げるマスターズへの道
厳密には招待競技であるマスターズの場合、他のメジャーとは異なる点がいくつもあります。出場選手の少なさもその一つです。
「全米オープン」、「全英オープン」がフルフィールドの156名で行われるのに対し、マスターズは過去最多人数だった1966年でも103選手。
「出場選手は100人以下にしたい」というのが主催者であるマスターズ委員会の意向とされ、今年もその意向通りの人数となるのは確実な状況です。
選ばれた選手のみが立てる舞台だからこそ一層憧れを抱かせるとも言える訳ですが、その出場資格にも特徴が見られます。それは、アマチュアの出場資格の多さです。
アマチュアの出場資格としては、以下のものがあります。
・全米アマ優勝者、同準優勝者
・全英アマ優勝者
・アジアパシフィックアマ優勝者
・ラテンアメリカアマ優勝者
・全米ミッドアマ優勝者
・全米大学体育協会(NCAA)のディビジョンI男子個人優勝者
(※いずれも直近の大会やシーズンの優勝者に対して与えられる)
2024年の大会から新たに「全米大学体育協会(NCAA)のディビジョンI男子個人優勝者」の資格が加えられたことにより、最大7名のアマチュア選手出場枠が確保される事となりました。
これは、全米オープンや全英オープンと同程度の人数です。
全体の出場選手枠を絞っていることを考えると、他のメジャートーナメント並みかそれ以上にアマチュア選手の出場を大切にしているということが言えるでしょう。
生涯アマチュアを通したボビー・ジョーンズが創設した大会らしさを感じさせます。
これらのアマチュア出場枠の中で注目したいのが、「アジアパシフィックアマ優勝者」と「ラテンアメリカアマ優勝者」の枠です。
この二つの大会は各地域のアマチュアゴルファーNo.1を決める大会として、アジアパシフィックアマは2009年に、ラテンアメリカアマに2015年に始まりました。
マスターズ委員会は大会の創設自体に関わり、スタート当初から優勝者にマスターズの出場権を与えています。
このチャンスをきっかけにサクセスストーリーを歩んでいった最たる例が、松山英樹です。
松山は2010年に日本の霞ヶ関CC・西で開催された第2回アジアパシフィックアマで優勝しマスターズ出場権を獲得すると、翌2011年のマスターズでは日本人初となるローアマ(27位タイ)となりました。
そして2011年のアジアパシフィックアマでは連覇を達成。2年連続でのマスターズ出場を果たし、マスターズ本戦でも2年連続で予選を通過しました。
その後マスターズでの優勝まで果たした松山に、「ヒデキは一番の成功例」と思っているクラブ関係者は少なくないはずです。
人種・ジェンダー…時代に合わせて変化するクラブ組織
今回最後に紹介する変化、それは主催者であるオーガスタ・ナショナルGCのクラブ組織です。
当初は、クラブの共同創設者であるボビー・ジョーンズとクリフォード・ロバーツが、それぞれの友人である各界の名士たちに声を掛けたり、地元紙に報道してもらったりしてクラブメンバーを募っていました。
過去のメンバーの中には、第34代アメリカ大統領のドワイト・アイゼンハワーがいます。
第二次世界大戦で連合国最高司令官を務めたのちにメンバーとなった彼を大統領に押し上げる際は、ロバーツを始めクラブメンバーも陣営で中心的な役割を果たしました。
現在クラブメンバーは、300名程度と言われています。マイクロソフト創業者のビル・ゲイツや投資家のウォーレン・バフェットも名を連ねていると言われていますが、メンバーの情報は非公表のため定かではありません。
順調に来たかに見える創設から今日に至るまでのクラブ運営ですが、その間にクラブはマスターズの開催が危ぶまれるほどの二つのムーブメントに直面してきました。
一つは人種問題です。発端は1990年にあった出来事でした。
8月に全米プロを開催したコースのクラブメンバーが全員白人であることについて、社会的に問題となってしまったのです。
これを受けて、全米プロを主催する全米プロゴルフ協会などは「差別を持つクラブではトーナメントを行わない」旨を含むガイドラインを作成します。
次に注目されたのが、オーガスタ・ナショナルGCの対応です。
創設時からのクラブメンバーの成り立ち、加えてその前までハウスキャディが全員黒人だったことが示す南部ならではの状況もあり、黒人のクラブメンバーはいないと思われていたためです。
そして同年10月、クラブは「ロン・タウンゼント氏が新たにメンバーになった」という、プレイベートクラブとしては異例の発表を行いました。
タウンゼント氏は黒人で、テレビ中継を行うCBS系列の放送局の社長を務めていた人物です。
これによって翌年1991年のマスターズは、無事開催されました。
もう一つのムーブメントは、男女のジェンダーに関するものです。最初の動きは、2002年6月にありました。
女性の地位向上に向けた活動を行い300万人の会員を持つ全国女性組織評議会(NCWO)会長だったマーサ・バーク氏は、オーガスタ・ナショナルGCには女性メンバーがいない事を記した新聞記事を目にします。
そこでバーク氏は、当時のクラブの会長に「来年のマスターズにまで女性メンバーを迎え入れなければ、NCWOはマスターズ開催阻止の行動をとるだろう」との内容の手紙を送ります。
これを受け取った会長は、「クラブの運営について外部と話し合うことはない。そもそも女性メンバーを入れないという規則は無く、差別もない。既に女性メンバーの候補者はいるが、いつメンバーになるかは我々が決めること」との返事をし、内容も公表します。
それでも女性メンバーの加入を求めるバーク氏は、マスターズ当日のクラブ周辺でのデモやテレビスポンサー商品の不買運動展開まで示唆。
対するクラブ側も、「2003年のマスターズ中継はスポンサーなしで行う」と対決姿勢を示します。
(※ちなみにマスターズのテレビ中継においては、主催するマスターズ委員会が中継局側へ製作費を支払い、番組内容や収録映像を管理・所有する権利を取得。マスターズ委員会側で、取得したコンテンツを海外向けに販売する仕組みとなっています。)
結局この際は、決行された肝心のデモがNCWO内の足並みの乱れから数十人規模のものとなったこともあり、スポンサーなしの中継は翌2004年も続いたものの、クラブに女性メンバーは加入しないままとなりました。
再びこの問題が注目を集めたのは、2012年のこと。同年春、マスターズのメインスポンサーであるIBMのCEOへ女性が就任したのです。
通例として、スポンサー会社のCEOはクラブメンバーとして迎え入れられてきました。
また、当時のバラク・オバマ大統領や大統領選の共和党候補からも、「オーガスタ・ナショナルは女性メンバーを加えるべき」との声があがるようになったのです。
そしてついに2012年8月20日の会見で、当時の会長であるビリー・ペイン氏は「元米国国務長官コンドリーザ・ライスら女性2名をオーガスタ・ナショナルGCのメンバーとして迎えた」ことを発表しました。
クラブ設立から約80年後のことです。
さらに2019年には「オーガスタ・ナショナル女子アマ」を開始。
これはマスターズの前の週に行われる3日間大会であり、2日間の予選を通過した選手は決勝ラウンドでオーガスタ・ナショナルGCをプレーすることができます。
2021年大会では、日本の梶谷翼が優勝。翌週のマスターズで松山英樹が優勝したことで、図らずも日本人選手がオーガスタ・ナショナルで2週連続優勝を果たすことになりました。
メジャートーナメントの主催者であるとともに、一プライベートクラブとしての側面も持つオーガスタ・ナショナルGCは、これからも社会の情勢を見ながら両者の折り合いをつけることに腐心することとなるのでしょう。
さてシリーズ最終回となる第3回で取り上げるのは、マスターズならびにオーガスタ・ナショナルと日本の繋がりです。
日本人選手の奮闘の歴史はもちろん、クラブに在籍した日本人メンバーやテレビ放送の移り変わりについてもご紹介します。どうぞお楽しみに。