【テクアシ日記 vol.29】幼少期のトラウマと、リスクヘッジについて

幼少期にトラウマになってしまった出来事からリスクヘッジについて考えました。予測不能を予測する人事が、今求められているのかもしれません。

  

こんにちは。テクニカル・アシスタントの竹内です。

 

人は誰しも、程度の差こそあれ子どもの頃のおぼろげな記憶をいくつか持っているものと思います。

私にはその中に、映像とセットでありありと思い出されるほどの、強い「後悔」の記憶があります。

 

先日のメルマガでも少しお話ししたのですが、子どもの頃の私の夏はセミまみれでした。

元々生き物が大好きで、いわゆる「むしはかせ」であった私にとって、セミは非常に魅力的な獲物です。

庭のダンゴムシやアリなどと違って体も大きく捕獲の難易度も高い上、季節も限定されているために特別感のある存在であり、小学校入学前の時点で親に不安視されるほどのセミ採り中毒となっていました。

毎日何十匹というセミが私の魔の手にかかっていたのですが、黒い体に茶色い羽のアブラゼミが9割以上を占め、まれに地味で小さな黄土色のニイニイゼミや、同様に地味で透明な羽のヒグラシなどが捕まる、といった状況でした。

それらを飽きもせずに捕まえては持ち帰って図鑑と見比べ、種類と性別を特定し、逃がすというのが夏の過ごし方になっていました。

 

そんなある日、4歳か5歳だった私は特別なセミを手にします。

私が徒歩で行くことを許されている公園では見かけない、「ミンミンゼミ」を、しかも虫取り網の届く範囲に見つけたのです。

幼児とは思えない辛抱強さでじりじりと距離を詰め、子どもなりに考えたセミの死角に網を構え、素早くかぶせます。

初めて手にしたミンミンゼミは、アブラゼミと同等の立派な体格に加え、鮮やかな黄緑色に黒い隈取のような模様がとてもカッコよく、透き通った丈夫な羽も相まってきらきらと輝いて見えました。

虫かごに閉じ込めて、急いで家に帰り図鑑を開きます。

図鑑はほとんど暗記していたためにそれが憧れのミンミンゼミであることは分かっているのですが、改めて見比べ、歓喜に浸ります。

 

喜びがひと段落すると、そこからは葛藤の時間でした。

貴重でカッコいいミンミンゼミなので、できれば手元に置いて飼育したいと思います。

しかし、エサとなる樹液をどのように確保してよいか分からず、そもそも命がとても短いこともよく知っていました。

そんな短い命を虫かごの中で過ごさせ、死なせてしまっては、あまりにかわいそうです。

 

悩んだ挙句、私は一世一代の決断(当時)で、自然の中に逃がすことを選択しました。

セミを手に持ち、いつもアブラゼミを逃がす道路側の窓ではなく、庭に面した大きな窓を開けます。

「元気でね」と声をかけ、名残惜しさを振り切って空に放り投げます。

セミは少しだけ放物線を描いた後、羽ばたいて重力に逆らい、空に向かって飛んで行きました。

 

この前後のシーンが、映像ではっきり残っている後悔の記憶です。

夏の入道雲が浮かぶ青い空に向かい、ミンミンゼミが飛んで行きます。

元気に飛ぶその様子を、私は寂しくも穏やかな気持ちで見守ります。

少し左に飛べば雑木林があるな、右側のすぐそばには背の高い木も生えている…と思った刹那。

 

その木から黒い影が飛び立ちました。

えっ、と思った瞬間には、私の手から飛び立った貴重でカッコいいミンミンゼミは、カラスのくちばしに捕らえられていました。

カラスは狙った獲物をしとめ、心なしか満足げにUターンして木の枝に戻ります。

 

一瞬何が起こったのか分からなかったのですが、すぐに、一大決心を持ってつなごうと決めたセミの命が、そこで終わったことを理解しました。

様々な思いが心中に去来します。

逃がすんじゃなかった…

こんなことならずっと虫かごにいれて眺めておけばよかった。

逃がすにしても、公園の木に返すべきだった?

カラスに対して呪いの言葉を吐いた気もしますが、そこは判然としません。

とにかく、人生で初めての強い強い後悔の記憶が、宝物を捕食者に投げ渡すという一連のショッキングな映像とともに残されたのでした。

 

今となってはすっかり面白ネタになってしまったのですが、ありありと残っているその記憶の異色さを考えると、当時の自分にはトラウマになるほどの衝撃だったのだと思います。

あのときどうするべきだったのか考えると、逃がす場所や方法など、色々な修正点は見つかります。

しかし、幼児であった自分に、逃がした後のセミの身の安全を慮ることができたのか?と考えると、やはりそれは難しかったのではないかと思います。

 

これは小さな一例ですが、「そんな事予測できなかったよね、仕方ないよ」と声を掛けたくなるシーンは世の中にあふれています。

会社の中においても、信頼していた部下の突然の退職、自身の予想外のライフイベント、世の中の動向など、実に様々な「予測不能」が存在します。

もはや、予測不能な事態が起こることも予測しておくべき、と言えるのかもしれません。

 

私の記憶は、それがセミの命という取り返しのつかないものであったがゆえにある種のトラウマとして残ってしまいましたが、社内で起こる「予測不能」は、そのための備えやそこからの巻き返しによって組織を強くしたり、改善にもつなげることができます。

かつてないほど目まぐるしく変容する社会の中で、予測不能な事態にどう備えるべきか、また、起こってしまった後にどう巻き返すべきか。

人事という観点から備えておくことは、人手不足の現代においてとても重要なリスクヘッジです。

 

弊社では、経験豊かなコンサルタントがそのお手伝いをしています。

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竹内円

 

P.S.
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます!

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Who is writing

経営人事パートナーズ テクニカル・アシスタント。
東北大学文学部卒業。製鉄会社の人事、大学法人の福利厚生制度の企画運営担当者などを経て現職。
持病の悪化による退職や家族の転勤による退職などを経験する中で、社員と企業双方にとっての最適解とは?人事を研究し突き詰めることはできるのか?という疑問を感じており、経営人事パートナーズの考え方に強い共感を覚えて入社。
生き物とバイクが大好きで、ボーダーコリーの女の子を溺愛しているが、彼女は熱烈なお父さんっ子なので若干片想い。うすうす感づきつつも、めげずに毎日愛を伝えている。