大学教員の仕事と人生:その優先順位と意思決定 (その1)

大学教員の仕事(業務)は、研究活動、教育活動、大学管理活動、それに社会貢献活動のおおむね4種類に区分けできます。

  

大学の教員はいったいどのような職業生活、日常生活を送っているのか、どのような人生を歩んでいるのか?

一般にはあまり知られていないようです。 

今回から、3回の連載で、その仕事や人生について、約40年の教員生活を振り返って、その一端を紹介しようと思います。

第1回は一般論を紹介し、第2回、第3回では、私自身の個人的な遍歴を縦糸にし、横糸で「優先順位」「意思決定」という切り口を織り込みながら、具体像を描いてみようと考えています。

なお、個人的な話や感想が多くなりますので、周囲にご迷惑がかからないように、極力、固有名詞は使用しないように記載していることを最初にお詫びしておきます。

 

はじめに

       

大学教員として過ごしてきた人生を振り返るとき、どのような観点から振り返るかによって様相は変わってくるでしょう。

このコラムでは、「優先順位」と「意思決定」という観点から、大学人としての遍歴を振り返ってみようと思いますが、この場合、仕事・キャリア形成とプライベートライフという二つが視野に入ります。

両者間での優先順位という側面と、「仕事・キャリア形成」という文脈内での優先順位という側面が、微妙に絡み合ってきます。

 

大学教員の人事のしくみ

最初に、大学教員という仕事が一般企業に勤務する方々と異なっている点に触れておきます。

それは、大学教員の異動についてです。

大学教員は、当該大学内部の異動(A学部からB学部へといった異動)は基本的にはありません。

大学教員の異動とは、大学をまたぐ異動で、企業でいえば、転職に相当します。

異動とは違って、昇格は同じ組織の内部で行われます。

たとえば、助教から准教授、准教授から教授という昇格です。

任期付きのポストに在籍する場合は、所属する大学の常勤職にそのまま採用されることはむしろまれで、他大学の常勤職を探すことが多いと思います。チャンスが多いからです。

一旦、常勤職に就けば、その後の昇格は、学内の基準(基本的には研究業績)によって認められます。

むろん、もっと自分に合った上位ポストを他大学に求めることはよくあることですが。

したがって、誰かに命じられて異動することはなく、自らの意思で異動することになります。

つまり、意に反した異動は起こりえず、異動は自らの責任で「選択」する、意思決定となります。

異動のきっかけは、他大学に空きポストができて公募があるか、招聘されるかですが、前者が多いと思います。

異動(転職)したくても、他大学の自らの希望に沿った(近い)ポストが空位にならないとどうにもなりません。(大学教員を辞める場合は別ですが。) 

そのため、大学教員の求人サイトは、よく利用されています。毎日チェックする人も多いでしょう。

ちなみに、そこで公開されている公募情報をみると、大学教員にどのような業務にかかわることが求められているかがよくわかります。

私が就職した頃と近年とでは、公募の条件が大きく変わっています。

現在は、研究業績だけでなく、教育に関して、指定された授業科目のシラバスを提出させたり、書類審査を通過したら、指定された授業の模擬授業をさせたりします。

また、契約という考え方が、(ようやく)浸透してきているようです。

私が採用された時代は、そんな考え方はほとんどありませんでしたが。

 

大学教員の仕事の種類

一般に、大学教員の仕事(業務)は、研究活動、教育活動、大学管理活動、それに社会貢献活動のおおむね4種類に区分けできます。

近年では、研究活動だけを業務とする教員や、社会経験を活かし教育活動を中心業務とする実務家教員、大学管理活動だけを業務とする教員、社会貢献活動だけを業務とする教員、といった「専門化」も生じてはいますが、基本は、一人で4つの活動にかかわることになるということです。

採用時の契約において、4つの活動に関する特段のエフォート比率が明記されていない場合には、各自がエフォート管理をすることになります。

 

研究活動

研究活動は自分の専門領域に関する研究に従事する業務であり、個人研究や共同研究の実施、各種研究プロジェクトの主宰、参加などが含まれます。

研究テーマやそれに向き合うための研究方略や手法は、論理的に展開するわけではなく、個人的な経験や各種の文献の購読などの日常的活動の中から結晶化してきます。

研究テーマや取り組む手法が見えてきたら、あとは論理的に(つまり、ルーティーン化されて)進行します。

しかし、個人研究(理学系よりも、人文・社会科学系に多い気がするのですが)の場合、うまくいく研究もあればうまくいかない研究もあるので、うまくいって学会発表や論文執筆に進めることはそんなに確かなことではありません。

研究のプロセスは、先行研究を調査し、研究課題を整理し、ふさわしい研究手法を選択して、研究計画を練り、資金的な問題がなければ、実験や調査、分析、解釈といったプロセスを経ます。

新しい研究知見が出れば、学会で発表し、それを論文の形にとりまとめ、学術誌に投稿し、査読者のコメントに具体的な対応をしつつ、最終的に論文の受理、掲載へと進みます。これはこれで長い道のりです。

理工系に多いプロジェクト型の研究では、基本的には、参画するまえにすでに研究の方向性や研究目的、研究手法などが決まっており、チームの一員として、特定の部分を担うというスタイルが多いようです。

この場合、研究成果の発表までのプロセスもルーティーン化できており、個別のプロセスは、チームメンバーである上司や上級研究員、あるいは、上級生の大学院生などから指導してもらう(いわば、徒弟制)形で、新参者がメンバーになっていくわけです。

そのため、研究成果の数も多く、刊行のスピードも速くなっており、個人研究とは比較になりません。

研究にかかる経費は、通常、競争的資金である科学研究費補助金(基金)に研究計画を申請し、運よく採択された場合(近年では、一般的には申請件数の約25%程度の採択率)に手に入ります。

つまり、採択されなければ、研究資金は入らないということです。(ちなみに、この種の申請書の審査は、その分野の研究者群のデータベースから選ばれた複数の研究者が行います。覆面のレビューアーです。)

むろん、競争的資金ではなく、少額の通常経費は各教員に配分されるのですが、政府の方針で、各大学に配分されるこの通常経費の部分が近年どんどん減額されており、中小規模の大学だと、へたをすると研究室の消耗品費くらいにしかならず、大型研究機器が必要な研究など不可能な現実があります。

そのため、研究者にとってとても大切な、試行錯誤を伴う研究や成果が見えにくい研究は、できなくなってきています。

数年先に具体的な研究成果が予想できる研究が、競争的資金を獲得しやすいからです。

よく、基礎研究の力が落ちてきているとノーベル賞受賞者などが発言されるのは、この問題を指摘しているのだと思います。

 

教育活動

教育活動は、学生に対する責務で、契約時に指定された授業科目を担当することと、学部生の卒業研究の指導(ゼミ指導とも呼ばれる)や卒業論文の執筆支援・指導をすること、大学院生の修士研究、博士研究を指導し、修士論文や博士論文の執筆を支援・指導することです。

授業科目については、従来型の講義や演習で行う場合もありますが、近年では、学生主導の活動型授業(アクティブラーニング)や、コロナ禍で普及してきたオンライン授業などもあります。

また、複数の教員が担当するリレー型の授業や、ゲストを招待したワークショップ型の授業もあります。

卒業研究や修士研究、博士研究は、いわゆる研究活動へのイニシエーション的な色彩が濃く、将来、研究職に就いてもいいように、研究活動で用いるノウハウや手法、倫理観などの醸成が含まれます。

そのため、修士研究や博士研究はもとより、卒業研究でさえ、質のよいものは、学会で発表させることがあります。

したがって、学会発表のノウハウまで、(将来は研究職に就かない多くの学生に)指導することになってしまいます。

この点は、大学教育の大きな問題点でした。

将来、研究職に就かないことがわかっている多くの学生に、研究活動へ従事させたり、研究発表を経験させたりすることが、教育的に意義があるのかどうか。

近年では、卒業研究を必須としない教育課程をもつ学部や、修士論文を修士修了の要件としない教育課程をもつ大学院(専門職大学院など)もできてきています。

ただ、こんどは、この種の新しい教育課程に、古い価値観しか持っていない(経験していない)教員たちの頭がついていかないという問題はあります。

 

大学管理活動

大学管理活動とは、自分の所属する講座や学科、学部、研究科といった各組織レベルで実施される委員会や会議体に構成メンバーとして参画することが主で、たとえば、教授会、予算委員会、学生委員会、入試委員会などたくさんの会議体にかかわることになります。

近年では、国立大学法人でも、私立大学と同様に、大学の管理運営の大部分が理事会等の管理組織の権限下に置かれるようになり、個々人の大学教員がかかわるのは、教学(つまり、大学の教育機能)に関連する部分だけに限定されてきています。

一般的に、研究活動志向の強い教員は、大学管理業務を避けたがります。

研究時間をそれだけ失うからです。

ただ、大学管理業務をやりたがる教員も一定数おられます。

経験則的に申し上げると、やりたがる教員に大学管理業務を任せるのはあまりいい結果につながりません。「やりたがる」ことと「うまくできる」こととは連動していませんので。

その他には、学部、大学院の入学試験に関連する業務、管理職(学長、学部長、研究科長、学科長など)に選任された場合の業務、対外交渉(文科省や関連する研究助成機関、大学認証評価機関等を相手にする)の業務もあります。

 

社会貢献活動

社会貢献活動とは、大学教員の専門性を活かして、自分の所属する大学以外で行う活動です。これも、大学教員の業務として認められており、業績評価の項目としても用いられています。

社会貢献活動には、学術関係の活動、学識経験者としての活動、地域社会へのサービス活動、講演・出版・メディア等での情報発信活動などがあります。

学術関係の活動には、学会や国際会議からの招待講演、学術誌からの招待論文執筆、大学教員が所属する国内外の学術団体(学会)の運営(会長や理事等の活動、学術誌の論文査読、年次大会等の運営等)、競争的資金の申請書の審査委員、内外の他大学の博士論文審査、教員の昇格審査などがあります。

学識経験者としての活動では、それぞれの専門性に合わせて、国の機関や地方公共団体などの審議会や協議会の委員を委嘱されることがあります。大学の正式な承認手続を経て、兼業として認められ、活動に参画します。

ホットな政策課題で、短期間で結論を出さなくてはならないような会議体では、毎週のように会議があるでしょうし、通常は、多くて月に1回程度の頻度で会議が行われることが多かったと思います。

コロナ禍では、これらがすべてリモート開催になり、今でも、それは続いているようです。

地域社会へのサービス活動としては、大学のある地域社会での関連するイベントや活動に、大学を代表して参加する場合や、教員個人や研究室単位、あるいはサークル単位で参加する場合があります。また、市民講座や大学の公開講座を開催したり、講師として参加したりすることも含まれます。

講演・出版・メディア等での情報発信活動には、さまざまなレベルでのシンポジウムや講演会、ワークショップなどで講演を行ったり、研究内容を一般向けに紹介する図書の出版を行ったり、近年ではSNSやWebベースで研究内容の広報を行うこともあります。

 

大学教員の勤務評価

現在では、毎年、教員は1年間の実績を、これら4つの活動の観点からとりまとめ、勤務する大学に報告をしなければならないケースが多いと思います。勤務評価の判断根拠に使われます。

評価の公平性を鑑みて、各種の活動が点数化されているケースも多いと聞きます。

10年ほど前までは、私が大学教員になった時代と同様に、研究業績がほとんど唯一の教員評価でした。

採用にしても昇格にしても、実質的には、ベースとして博士号取得、その上で、どのような学術誌にどれほどの論文が発表されているか、それらの論文がどのように広範に引用されているか、学界での研究の評価はどうか、といったことで評価が決まっていました。

近年の評価基準の変更は、文科省の政策によるものですが、大学の果たす社会的機能が見直され、社会的責任が明確化されたことによります。

大学は研究機関であるだけでなく、教育機関でもあり、社会サービスも担う機関だということです。

特に、外部評価機関による大学の認証評価制度が始まって、定期的な外部評価が義務付けられたことが大きいでしょう。

認証評価制度では、教員の活動(「教育活動、研究活動、社会活動等」と書かれています)を評価し、その結果を大学運営に活かすことが明示されているのです。

したがって、契約で特定の活動に特化することになっている教員を除けば、各人がこの4つの活動を意識せざるを得ません。

それでも、大学教員の間では、依然として、研究力(研究業績)が重視されます。

勤務評価で、教育活動や社会貢献活動でめだった成果をあげて、大学の執行部からの評価は高くても、一般の教員間での評価はそれほど高くないようです。

 

大学教員の「生きる力」:優先順位の決め方

さて、大学教員個人として生きていくうえで、最も重要な「生きる力」は、これら4つの活動にどのような優先順位をつけて、どのようにかかわるかを決め、また、それを実践して、成果をあげていくことだと思います。

優先順位は、個人個人で、また、人生のその時その時で、異なるはずです。

なぜなら、4つの活動のなかで、今、どれが最も自分がやりたいことであるのか、今、どれが最も自分の性格にフィットするのか、今、どれに関わっているときが最もハッピーなのか。それが異なるからです。

あるいは、何をやるときに最もストレスを感じるか、今は何をやりたくないか、今はできないとか、そういうことが影響します。

そして、その意思決定に大きな影響を与えるのが、プライベートライフ、ファミリーライフのイベントです。

時には、予期せざるイベントも生じますし、意思決定に無視できない要因となります。

いや、無視した意思決定は、おそらく、人生にとって、無意味な決定なのだと私は思います。

たとえば、大学教員としてのキャリアを開始した頃は、研究業績で採用されることもあって、研究活動志向が強く、他の業務への興味や関心が薄かったとしても、少しずつ経験を積んでくると、教育活動に興味や関心が移っていくこともあります。

自分の研究活動の継続には、自分自身で弟子を育てる必要があると思うようになれば、大学院生の教育活動(研究のノウハウの伝授、学術論文の執筆指導等)に重きをおくようになることもあります。

もっと研究経験を積んで、准教授から教授に昇格してしまうと、研究業績の積み上げ(教授昇格してしまったので)がそれほど必要でなくなり、むしろ、大学管理活動に興味や関心が向き、学科長、学部長、研究科長といった管理職を視野に入れることがめざす方向となる人もいるでしょう。

研究活動も、研究それ自体よりも、専門学会での活動や海外での国際会議での貢献などのほうに主力を注がなくてはならない状況も起こり得ます。

また、自分自身の研究成果や研究ノウハウを、産業界や地域社会に還元する、あるいは、商品化することに興味や関心が向く人もいます。

科学の伝道師として、サイエンス・コミュニケーション活動に没頭する人や、メディアを通して、自分自身の専門性を生かした著述や講演活動に重きをおく人もいます。

優先順位は、キャリアを積むとともに変化します。自分自身の志向性の変化もありますし、大学という組織や自分を取り巻く環境や、先述したように、プライベートライフ、ファミリーライフの変化によって、否応なく優先順位を変えざるをえない場合もあります。

意識して、優先順位を変更する場合ももちろんあるでしょう。

それができるか、できないかで、自身のキャリアの楽しさ、豊かさ、幸福度が変わってくると思います。

受け身ではなく、能動的に変えるのが大事だと思います。

いずれにしても、大学教員一人ひとりが、キャリアの進行とともに、4つの活動の相対的な優先順位をマネジメントしながら、定年までの(あるいは定年後も含めて)キャリア・プランをたてることが必要になると、(少なくとも、私は、今でも)思っています。

ただ、実際には、キャリア・プランをそのように意識的にデザインできている人、4つの活動に積極的に優先順位をつけている人は、あまり多くないように思います。

いや、むしろ、意識せずに漠然と「大学村」の慣行の中に身をゆだねて過ごしている人は多いように見受けられます。

(続く)

(第2回と第3回は、これら4つの業務活動の優先順位の決め方に焦点をあてて、私自身の経験を振り返ってみたいと思います。)

Who is writing

神戸大学名誉教授・東京理科大学名誉教授/株式会社経営人事パートナーズ 海外文献リサーチャー

研究者としてのキャリアは、 教育学としての科学教育学から。

その後近代科学の異文化性を中核に据え、 異文化としての科学と人間の関係性を、 教育という切り口から研究してきた。

約40年、 合計4つの大学で教員を務め、定年退職を機に、 教育活動、研究活動の中で最も好きで、最も専門的スキルをみがいてきた、 海外文献の調査 探索 検索収集・分析・要約の活動をフリーランスとして行っている。

未知の研究領域 (人文社会科学系) について学ぶことは、 自分の知的好奇心を満たせることなのだが、 現代社会の中で、このような活動と成果を求めているセクターがあることがしだいに明らかになってきて、 その顕在的・潜在的なニースにささやかながら応えられることが楽しいしうれしい。

教育学、歴史学 、 人類学、 民族学、 民俗学、 社会学、 人材開発、 言語学、 コミュニケーション、 などなど、 知らない分野の研究を覗いてきたが、今回は、HRM や人事採用に関する海外文献の調査研究ということで、 また新しい世界を覗ける機会を得てわくわくしている。

HRM や人事採用については、アウトサイダーであるが、 であるがゆえに、インサイダーの方々とはちょっと違った見方も示せればよいかなと思ったりしている。

チャレンジできる仕事に出会えて感謝。