【ブラック企業サバイバーの叫び】何でもパワーで解決できるわけじゃありません

大好きな映画を観ていたはずなのに、気がついたらブラック企業時代の自分の働き方について考えさせられました。

  

先日観た映画の衝撃の結末

突然ですが、先日観た映画の話をさせてください。

こちらタイトルは伏せますが、私が昔大好きだったドラマ作品の続編でした。

劇場版ということで、ドラマ以上に深刻かつ派手なアクシデントが主人公たちを襲います。

私は手に汗を握り、クライマックスを待っていました。

さて、この危機をどうやって脱するのか。

そのカギは一体何だったと思われますか?

パワーです。

同時多発的に襲い掛かる様々な困難を乗り越えるためには何が必要なのか。

それはパワーなのです。

しかし、主人公は筋肉モリモリのスーパーマンではありません。普通の人間です。

むしろ身体に重大な問題を抱えており、コンディションは最悪の状態。

そんな主人公、一度は倒れかけますが、すぐにまた立ち上がるのです。パワーで。

そうこうしているうちに場面は暗転してしまい、結局この絶望的な状況をどうやって切り抜けたのかはまったく分かりませんでした。

しかし、すぐ後のエンディングではみんな幸せそうにしていたので、おそらく全員で乗り越えたのでしょう。パワーで。

「なんかすっごく大変でしたけど、みんなで頑張ったら何とかなりました!」

そういうことなのだろうなと思います。

映画を観た後、私は何故だかとてもがっかりした気分になってしまいました。

今更ですが、ここまでに乱用した「パワー」という言葉は、決してトレーニングで洗練された美しい筋肉による力のことではありません。

具体的な計画や作戦が全くなく、目の前のトラブルにフィジカルだけで向き合って無理矢理解決している状況を指しております。

そしてそのシチュエーションは、私が以前勤務していたブラック企業の労働環境を思い出させるものでした。

パワーと気合いとブラック企業

ブラック企業というものは、「パワー」「気合い」といった言葉と妙に相性が良いと思います。

精神論を連想させる言葉ではありますが、本来は決して悪い意味の言葉ではありませんよね。

しかし、以前私が勤めていたブラック企業では、物事を無理矢理パワーで解決させなければならないことが多々ありました。

あの時の状況を思い起こすと、先述した映画で起きていた状況そのものであったと思います。

計画性や効率なんて考えている余裕はなく、目の前のタスクを少しでも早く終わらせることだけを考えなければなりません。

上司たちは、従業員が必死の思いで完成させたものを見て、

「ほら、できたじゃん。良かった良かった。」

…という程度の感想を言うだけです。

映画を観た時に抱いた最も大きな違和感の正体がここにありました。

あのクライマックスは、エンディングを観ている私たちに対して、

「良かった良かった!感動!めでたし!」

という感想を粗雑に押し付けているような気がしてしまったのです。

何がどう解決されたのか、具体的な描写は一切なかったので分かりませんが、「とりあえずみんなで乗り越えたことにしておけば感動的だろう」と思っているのではないかと勘繰ってしまいました。

そしてそれは、ブラック企業の上の方々からの精神論の押し付けによく似ている気がします。

「ほら、無理なことなんてない!みんなで頑張れば乗り越えられるよ!」

「今回できたんだから、次もできるでしょう?」

「次はもっと良くなるように頑張ろうね!」

そんな言葉を思い出しました。

達成感なんてありませんし、まったく感動的でもありません。

気合いで乗り越えただけです。

それが繰り返されていると、一人ひとりのスタッフがどうなっていくかは、ここに記すまでもないでしょう。

一度や二度ならばパワーと気合いで解決できたことでも、それを継続させるのは現実的ではありません。

どう考えても、人手を増やしたり、労働時間や日数を見なおしたり、現状可能なことと不可能なことを正しく見極めたりする必要があったと思います。

「成果を出すための努力」と「壊れる前提の根性論」を明確に区別しなければいけません。

しかし、当時の私は管理職といえる立場でしたが、冷静に状況を分析し、メンバー一人ひとりの能力やスキルに応じて業務を振り分ける…などということは一度もできませんでした。

山積みの仕事をとにかく減らしていかなくてはいけないので、全員体当たりで切り抜けるしかなくなってしまったのです。

これは間違いなく当時の私の過失といえるでしょう。

ただ、今もたまにこの頃のことを振り返ることがありますが、あの状況の中で具体的にどのような解決策があったかを考えても、あまり良い案が思い浮かびません。

そもそも、何故あそこまでがむしゃらに頑張っていたのだろうかと思うのです。

自己犠牲ってそんなに美しいのか

イライラ解消法4:対人関係の向上

私には、「自分でも何故だかわからないけれど、仕事となるとどんなに理不尽かつ非合理的なことでも、必要以上に頑張ってしまって自滅する」という弱点があります。

今思うと、これはブラック企業にとって非常に都合のよい性格だったでしょう。

これに少し似たシチュエーションに、「自己犠牲」というものがありますね。

例の映画でも、自分の身体のことを後回しにして周囲の人を助けようとする描写がありました。

その他のドラマやアニメでも、

「ここは俺に任せて逃げろ!」

『で、でもそれじゃあお前が…。』

「馬鹿野郎!俺のことはいいからさっさと行け!!」

…みたいなシーンはかっこいいです。

しかし、それがもし本人の意志でなかったとしたらどうでしょうか。

「他の皆を助けるために、この場はあなた一人で頑張ってください。」

…という指示を受けていたとしたら、感動できるはずがありません。

これではなかなか美談としては受け入れられないでしょう。

どちらかというと、パワハラやいじめに近いと感じてしまう方は多いと思います。

ただ、これってすごく判別が難しくありませんか?

個人の感覚の違いであるとも言えるでしょう。

例えば、自分の意志でがむしゃらに頑張っている人に対して、

「何もそこまでしなくても良いんじゃないの?」

…と思うこともあれば、自分たちは強要したつもりなどまったくなかったのに

「無理に押し付けられてすごく嫌な思いをしました。」

…と急に言われて驚いてしまうこともあると思います。

そういった行き違いが起こらないようにするためには、やはりコミュニケーションが重要であるといえるでしょう。

しかし、それだけでは足りません。

本人の希望を尊重する以外にも、その方の実力やスキル、キャパシティ、経験値、他の仕事の配置など、検討しなければならないことは様々あります。

となると、会社や上司は従業員の話を聞くだけではなく、その人の個性やポテンシャルを把握しておかなければならないでしょう。

これも、ブラック企業時代の私がまったくできていなかったことの一つです。

誰か一人に責任や業務が集中するような状況は避けなければなりませんし、本人の希望や個性を考慮するのは非常に大切なことであるといえます。

適切な労働時間とお給料の重要性

そもそも、仕事のためにどこまで頑張りたいと思うか、実際にどこまで頑張れるか、頑張った結果どの程度の成果を出せるかというのは、人によって異なるでしょう。

ただ、ある仕事に対する適切な労働時間や労働環境、賃金というのは、ある程度予想がつくものだと思います。

「このお給料でそんなに長時間は頑張れないよ!」

「こんな状況じゃ良い結果なんて出せないよ!」

そういったことは、決して珍しくないですよね。

私が勤務していたブラック企業では、従業員一人ひとりの実績や成果が評価されるということもありませんでした。

すべての従業員が、均一かつ適切でない労働時間とお給料で、何の評価も得られないまま、ただひたすら無理をし続けていたのです。

そのような厳しい状況の中では、状況を冷静に分析して計画を立てたり、丁寧な共有を行いながら進めたりといった、当たり前にこなすべきプロセスも不十分になってしまいます。

その時は何とか解決したように見えていても、実は全然できていなかったなんてこともあるかもしれません。

ほとんどの場合は、従業員一人ひとりに無理をさせる形で、ギリギリ何とか解決したように見せかけます。

「見せかける」というのは、実際に解決しているわけではありません。

同じ課題を適切な順序と工数で解決へ導いた会社とでは、雲泥の差が生じているはずです。

正常な会社とブラック企業との最も大きな違いは、こういった部分に現れるのではないかと思います。

ブラック企業では、完了した作業の過程を見なおしたり、その成果・効果を分析したりする余裕はありません。

目の前にある仕事を、従業員が必死に処理していく。

そのような状況がずっと続いていては、従業員の成長や企業としての発展はなかなか臨めないでしょう。

だからこそ、適切な労働時間とそれに見合った賃金の設定は、とても重要です。

そして、それを行うためには従業員をどのように配置するか、どのように評価するかを決めなければなりません。

もちろん、一人ひとりの個性や実力を把握しておく必要もあるでしょう。

そんなことを考えていたら、ブラック企業がそのように呼ばれてしまう原因を解決する方法の一つを、自分が既に知っていることに気がつきました。

ブラック企業にできなくて、優良企業にできること

冒頭でお話しした映画を観た私が「うわぁ」と思ってしまったのと同じように、ブラック企業も、外部の第三者の目線からは「うわぁ」と思われてしまう社風があるでしょう。

実は、私も件の企業を退職したあとで周囲の人から、

「ちょっとおかしかったもんね」

「なんか変な会社だと思ってた」

…と言われ、そんな風に思われていたのかと驚いた経験があります。

やはり、内部にいるとなかなか気づくことができないものです。

自分の長所や短所に目を向けるのは難しいことであるように、企業においても自社の特長や弱点を的確に把握するのはなかなか大変なことだといえるでしょう。

勝手なイメージですが、これはブラック企業が特に苦手としている点であり、良い会社ほど積極的に理解を深めようと努力している気がします。

ただ、自分の良い部分や悪い癖などについて、家族や友人、同僚など、第三者から指摘されて初めて気がつくことができたという経験はありませんか?

企業も同様に、自分や従業員、取引先といった身近な人々以外の視点が必要とされるでしょう。

私はそこまで考えてから急に、

「コンサルタントって、そのために存在するのか!!!」

と、気がついたのです。

人事コンサルタントを担う企業が運営するメディアで語るのはお恥ずかしい話なのですが、これまであまりそういった企業とのご縁がなかったので、コンサルタントのお仕事がどういったものなのかは、ざっくりとしか理解できていませんでした。

当メディアでの様々な業務に携わる機会をいただく中で、コンサルタントというお仕事についての理解が深まっただけでなく、そのメリットと効果についても見えてくるようになったのは、つい最近のことです。

ブラック企業に所属していた私がブラック人材と化していたように、内側の人間だけでできることには限りがあります。

外部にいる第三者が介入することで、その状況を改善しやすくなるでしょう。

私がいたブラック企業は他者の介入を必要以上に嫌っており、自社の従業員が外部と交流することや、他社の人間が関わってくることを避けるため孤立していました。

その逆を考えると、積極的に外部と交流したり、消費者や競合他社から見た自社の立場を意識したり、プロのコンサルタントへの依頼を検討したりする企業は、良い会社が多いのではないでしょうか。

もっとシンプルに考えると、「人に見られたくない部分が多い会社」と「他人に見せてもよい部分が多い会社」では、どちらが印象が良いかは言うまでもないでしょう。

悲しいことに、ブラック企業で働いていた当時の私を苦しめていたのは、「人に見られたくない⇒他社が介入できず、少数精鋭になりがち⇒何でもパワーで解決したがる」という法則だったのだと悟ってしまいました。

私はただ好きな映画を観たかっただけなのに…。

でもせっかくですから、ここまで読んでくださった皆さんにも少しだけ立ち止まって考えてみていただけたら嬉しいです。

日々のお仕事、部下や同僚のパワーに頼りすぎていませんか?

Who is writing

学生時代を関東で過ごした後、東北の田舎に帰郷。嫌々地元で就職を決めたら、うっかりとんでもないブラック企業に入ってしまった!
絶望的な環境からなんとか抜け出し、その勢いで個人事業主として開業。現在は、Webディレクター、ライターとして活動中。
本当はお芝居や音楽、歴史が好き。