【ワーク・ライフ・バランス論の課題を乗り越えて】シリーズ 働く女性のワーク・ライフ・バランスを考える vol.4
最終回はWLBという枠組みの課題を議論した研究をとりあげ、これを乗り越えようとする考え方を紹介する

はじめに
働く母親のワーク・ライフ・バランス(以下、WLBと表記します)に関する諸問題を取り扱った海外の研究を紹介してきましたが、最近ではこの問題の解決策を直接的に探るという研究の方向性とは異なるアプローチがみられるようになっています。
この連載の第一回でWLBに関する研究史がありましたが、その最後にあった「ワークとライフの関係はマネジメントするものだ」という研究方向の一つです。
このように新しい研究動向が生まれてくるのは現在のWLB論ではうまくいかない何かがあることに着目した研究者がいるということです。
今回はこの連載の最後として、WLB論を超えた新しい見方を紹介しておきたいと思います。
WLB施策の仕事面での課題

最初に従来のWLB研究で前提とされてきた「仕事」や「生活」の概念の見直しを進めようという論文 (Kelliher, Richardson and Boiarintseva, 2019) を紹介したいと思います。
著者たちの主張は従来のWLB研究で前提とされてきた「仕事」観や「生活」観が研究史の初期のままで、現代の「仕事」や「生活」の現状に対応していないという点にあります。
したがって現代の「仕事」、現代の「生活」に基礎をおいたWLB論を構築すべきだというわけです。
まずは「仕事」に関する議論を追ってみましょう。
著者が指摘するのは従来のWLB施策の大前提が「標準労働時間」「フルタイム」「永続雇用」に代表される伝統的で標準的な働き方にあったという点です。
しかし皆さんご承知のように、近年はこの大前提に該当しない勤務形態や雇用関係のもとで働く従業員が増えています。
たとえば「ゼロ時間契約」「ギグエコノミー」「フリーランス」「パートタイマー」などです。
こういった就業者たちのWLB施策については従来の議論とは全く異なる議論の土台が必要になるというわけです。
労働時間が大幅に短縮された人々のWLBは標準的労働時間で働く人々よりも満足度が高いという研究報告もあります。
リモートワーカーのWLBについては良い面(WLBが改善する)と悪い面(仕事時間が増加しがち)があることが報告されています。
また従来のような「雇用主は一つ」という前提がなりたたない、複数の雇用主のもとで仕事をする事例も増加しています。
このような雇用形態で働く人のWLB施策に求められる要件や彼らの経験を理解し支援する取り組みを開発していく必要があります。
彼らの場合、自分のWLBを達成する責任は彼ら自身の側にある可能性が高くなります。
そのため、WLBの公的な施策と個人で管理する自身のWLBの取り方との間の適切な役割分担のあり方を検討していく必要もあるでしょう。
「派遣社員」など派遣労働の場合も独自のWLB問題があるかもしれません。
仕事に空きができた場合に派遣労働に頼るといった慣行があればそれは派遣社員のWLBに悪影響が出るでしょう。
「フリーランス」「自営業者」「家族経営」の労働者のWLBも独自の課題をかかえているかもしれませんが、研究はまだほとんど始まっていないようです。
これらのグループに属する人々の場合、個々の労働環境や労働事情に多様性が大きくWLBの一般論や標準的議論が適用できないことが多いということになります。
以上の例からわかるように、従来のWLB論の大前提だけではカバーしきれないほど人々のかかわる「仕事」の領域が多様化しているのです。
それを踏まえた新しい議論の枠組みの構築が待たれます。
WLB施策の生活面での課題

では、「生活」に関する議論をみてみましょう。
従来のWLB論では「共働きの親(母親)とその子ども」をターゲットにした施策に焦点があてられてきました。
連載の第一回でみてきた日本の現状はまさにこのやり方です。
しかしこの枠組みから排除されてきた労働者たちがいます。
そこには「母親以外(父親、祖父母、親戚、友人)」「子ども以外(高齢者、障害者、慢性病患者、ペットの世話や介護)」そして「ひとり親」などが含まれます。
また「生活」が「子育て」に焦点化していて「子育て」以外の「生活」あるいは「生活の質」については配慮されてこなかったといえます。
たとえば「文化的行事」「宗教的行事」「家族の行事」「趣味的生活」「健康保持的活動」などへの配慮がなされていなかったといいます。
さらに「育児責任のない労働者」(単身世帯、子どもを産まない夫婦世帯)には、「共働きの母親とその子ども」のためのWLB施策によって逆に「長時間労働させられる文化」の犠牲になっているという不平等感が蔓延します。
子育てに関わる母親でも子育てと親(高齢者)の介護という「二重介護」に晒されている、いわゆる「サンドウィッチ世代」と呼ばれる女性たちも、従来の枠組みでは対応ができていません。
職種的にいえば、医療や介護専門職の女性たちは自分の家族(高齢者介護)のケアも家庭で担うことになっています。
それ以外にも「障害のある子」「自立できない子」「引きこもりの子」のケアの問題もあります。
近年では「同性カップル」「一人子育て」「生殖医療受診者」など多様な労働者が出現しています。
このような人々のWLBはそれぞれに固有であるため、従来のような単一のWLBのモデルは適用できません。
したがって「働く母親の子育て」支援という従来のWLB施策は拡大されなくてはならないでしょう。
むろん雇用主の中にはそのような拡大に否定的なスタンスをとる人も出るでしょう。
しかしながら、従業員の間にWLB施策への不平等感があると「非生産的行動」が増え、「組織の生産性」に潜在的な悪影響を与えるという研究報告もあります。
また「働く母親と子育て」に関わる従業員だけが「優先的に」恩恵を受けられるようなWLB施策自体がマイナスの影響を与えるという報告もあります。
そして、じつはその恩恵を受けている「働く母親」たちも自分たちだけが恩恵を受けていることにはネガティブな感情を抱いているといいます。
以上紹介してきたように、これまでのWLB施策は限界にきており、抜本的な見直しというか革新的な施策の開発が急がれるのだそうです。
ワークとライフの境界をマネジメントする
そのような方向性に向いた研究動向の一つに「ワーク・ライフ境界管理(Work Life Boundary Management)」があります。
ここではその一つの例 (O’Neill,2018)を紹介します。
著者の出発点は「労働者は仕事と家庭の役割の境界を日常的に越えている」というところにあります。
そこで、効果的なWLBに向けて境界を策定・維持するのに役立つ行動を特定し、それらで境界を行き来する行動を管理(マネジメント)するという発想です。
著者が同定した役立つ行動とは「境界を認識する」「境界を明確化する」「組織化する」「フレーミング(枠組み)を行う」「スケジュールを設定する」「パートナーとの関係性を確立する」の6つです。
著者はこの6つの要因を使ってワーク・ライフ境界管理の状況を自己分析、自己評価するための、あるいは、パートナーとの対話に使うための「尺度」を開発しています(次の表を参照してください)。


この尺度を利用すると6つの要因のどれがうまくいっていてどれがうまくいっていないかを判断することができるといいます。
各要因を構成する質問項目についてそれぞれ5点満点で評価し、要因ごとに平均点を計算すれば6つの平均点をプロットしたグラフが得られます。

それをみれば自分のワーク・ライフの境界マネジメントの特徴がわかりますしどの部分を意識的に強化すればよいかがわかるでしょう。
皆さんも試しにやってみられたらよろしいかと思います。
WLB論からWork Life Integration (WLI) 論へ

次に新しい考え方として「ワーク・ライフ・インテギュレーション(Work Life Integration: WLI)論」を紹介したいと思います。
「コンフリクト(対立)」や「バランス(均衡)」から「インテギュレーション(統合)」に視点を移すというわけです。
ここでは Kumar and Sarkar (2023) が行った「ワーク・ライフ・インテギュレーションと柔軟な仕事アレンジメントの役割」という系統的総説(systematic review)をとりあげてその内容を紹介することにします。
系統的総説とは、それまでの関連論文を一定の学術的基準に基づいて収集・分類し、それらの知見を統合して現時点でのそのテーマに関する研究の現状を示すものです。
著者たちはこの系統的総説でWLIに関する研究 101件を特定して内容を検討しています。
この研究によれば、WLIと銘打った研究は2009年に出現(3件)し2014年頃から急速に論文数が増えていることがわかります。
興味深いのは、この連載の第一回目で紹介したように、日本で「狭義のワーク・ライフ・バランス論」が急速に展開しはじめたのが2007年だったので、その直後から海外ではすでにWLI論が展開しはじめていたという点です。
この系統的総説論文で明らかになったことを簡単に紹介していきます。
まず、「柔軟な働き方」が広がってくると「仕事」と「私生活」の時間や空間が相互に入り込んでくる可能性が高いと指摘し、具体的な例として「育児や家事の合間に仕事関連のメールや電話が入ってくる」とか「仕事の途中に、保育所から子どもが発熱したという連絡が入ってくる」をあげています。
したがって、現実問題として「仕事」と「私生活」を完全に分離するのは非常に困難だから、逆に各個人が「仕事」と「私生活」の両方の管理を「統合して」行い、両方ともに「うまくやっていく」という方向性が浮上するといいます。
もしこれが可能であれば、仕事満足度も向上し燃え尽き症候群といった問題も軽減されるだろうといいます。
そして、そのためには「どこからでも、いつでも働ける」システムの再設計が必要となると述べています。
では「本当にWLIは必要なのか?」という問いには、次のような3つのニーズに対応する必要があると答えています。
(1) グローバル化とテクノロジーの進歩で「いつでもどこでも」というのは最近では顧客の要望となっており、伝統的な「勤務時間」概念では対応ができなくなっている。
(2) 従業員はますます「家族の責任」「家事の責任」「介護(子ども、高齢者、要介護者)の責任」を果たすことが求められている。
(3) 従業員は、「自分のライフスタイル」や「自己研鑽」の時間を確保したいと思っており、それらの要望が多様化していて、年齢、性別、ライフスタイルで求める要望も優先順位も多様化している。
また「WLIがうまく機能するためにはどのような前提が必要となるか?」という問いに対しては次のような指摘をしています。
(1)「柔軟な勤務体制」に関しては、「時間、場所、作業量の柔軟性と自律性」が必要で、そのためにはそれを可能とするような組織要因(リソース、テクノロジー利用可能性、組織文化、仕事の性質、雇用主の態度)の改善が求められるといいます。
(2)「制度の利用しやすさと柔軟性が従業員に認識されていること」に関しては、従業員が「制度の利用が不利益にならないことを認識していること、制度の利用者に対して同僚からの反発が生じない組織風土が確立していること」を指摘しています。
(3)「WLIを機能させるテクノロジーの整備」に関しては、仕事パターンのバーチャル化を図り、「いつでもどこからでも」を実現し、さらに「タスクの共有化(代替可能性)」を実現することを求めています。
最後に、著者はWLIが実現した場合の具体的なイメージを描いています。
それによると、「雇用主・企業サイド」からみると「WLIイニシャティブ」ということになるのですが、それは「従業員のエンゲージメント、満足度、モチベーション、定着、組織の生産性向上」を図るための「ツール」という位置づけになるというイメージです。
「柔軟な勤務調整(Flexible work arrangement)」のイメージは、「時短、シフト調整、柔軟な休憩、在宅勤務、フレックス制、パートタイム、ジョブシェアリング」といったものの組み合わせとなります。
また「WLIイニシャティブ」には「オフィス内の託児施設、ジム、ゲーム施設、配偶者同伴のビジネスツアー」といった施設やプランが含まれるというイメージが示されています。
次に「従業員サイド」からみると、「自分の仕事スケジュールを自分でコントロールでき、バランスのとれた生活」を送ることができるので、「仕事満足度」「会社への忠誠心」「会社への献身性」が高まるというイメージになります。
最後に、WLIを採用した場合、組織にどのような効果が出てくるのかに関して、文献調査を行った結果が別の研究で示されているのでそれを紹介しましょう。
Yadav et al.(2022) のインドでの系統的総説(総数 2286件の研究からインドで2005-2021年に実施された研究148件に絞り、さらに内容分析を経て最終的に30件の該当論文を分析対象に設定)から次のことがわかったといいます。
(1) WLI施策(WLB施策を含む)を採用すると、(2)従業員の仕事満足度が高まり、((3)従業員のエンゲージメントが加速され、(4)組織の実効性(高い生産性、高いリターン、競争力アップ、従業員の能力アップ、従業員の忠誠心)が高まる。
おわりに

今回は、この連載の最後ということで、従来のWLB論が現在の「仕事」や「私生活」の動向に対応しきれていないという課題を抱えていること、そしてそれを乗り越えていこうとする新しいアプローチとして、ワーク・ライフの管理(マネジメント)という考え方、バランス(均衡)ではなくインテギュレーション(統合)という方向で解決策を探ろうとする考え方を紹介してみました。
新しい動向の中には、今回紹介できなかった「ワーク・ライフ・ブレンディング(Work Life Blending)」という考え方なども出てきています。
コロナ禍を経て社会全体が仕事や働き方、家庭生活全般を強制的に見直さざるをえなくなったことは、いわば強制的で壮大な社会実験となりました。
パンデミックが収まってみると、仕事をする場合に当たり前だと思われていた「対人・対面」(つまり、同じ時間に同じ場所にいること)が必ずしも必須条件とならないことに社会全体が気づき、その状況を受け入れることができるように「慣らされて」きたことに気づきます。
仕事や私生活を取り巻くこの新しい状況を踏まえた新しいWLB論の登場が待たれます。
そこでは「働く母親とその子どもが中心のワーク・ライフ・バランス施策」からの飛翔、つまり「すべての人のための統合されたワーク・ライフ・バランス施策」が求められると思っています。
なお、次のシリーズでは、女性の管理職への昇格や管理職として働く際に遭遇する障壁の問題を取り上げ、海外の研究を紹介しながら問題の共有と解決への道をさぐってみたいと思っています。
