2024年5月30日。
とても、肝の冷える事件がありました。
場所は人工知能学会企業ブース。
余った時間にブースをふらふらしていた私は、見てはいけないものを見てしまった気分でした。
…これ、私の研究ととても似ている…?
いわずもがな、研究を行うにあたり重要な要素のひとつが「新規性」です。
自分の研究している内容がすでに他の人に実施されていたとしたらそれは、自分の研究が(言葉を選ばずに言えば)役立たないということと同義です。
もしかして、私の研究の上位互換だったりするのだろうか。
ある程度違うところがあれば救われるのだけど…。
そんなことを考えながら、本当は見なかったことにしたいのですが、そんなことはできません。
恐る恐る、掲示されていた研究を読み、その方の書かれた論文を探してみました。
結論として、私が自分で行っている研究と同じ分野も対象にはしているものの、実際の対象問題や手法の点で大きな違いがあったため、自分の研究が無意味だと気付く、という最悪の事態は免れたのですが、とても肝の冷える経験であったことは違いありません。
今投稿している論文が一刻も早く採録されて、研究成果として認められることを祈るばかりです。
ところでその方の論文を読んでいた時、提案されている手法のほかに興味深いことを見つけました。
その論文は普段私が投稿するような機械学習の専門誌ではなく心理学分野の論文誌だったのですが、最初の機械学習に関する記述が全く異なっていました。
それもそのはず。
機械学習の手法について、心理学の専門家と機械学習の専門家への説明が同じであっていいはずがありません。
伝えたい相手がどの程度事前知識を持っているのか?
相手の興味はどこにあるのか?
が書き方の大きなカギになっているようでした。
専門外の方に説明するときはこのように説明すればいいのか…。
と、モデルに関するところ以外での学びも得られ、手法も学び。
一石二鳥の論文でした。
ところで相手によって説明を変えなければいけないのは、何も論文に限った話ではありません。
日常においても相手との関係性や相手の経験、加えて相手がどのような思考のクセを持っているかによって、伝え方を変えることでより効果的なコミュニケーションが実現できます。
論文も一つのコミュニケーションであると思えば、対人のコミュニケーションと同じノウハウが必要なのは、当たり前のことだったかもしれません。
P.S.
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https://48auto.biz/keieijinji/touroku/sp/scenario13.htm
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