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突然ですが、皆さんはバラには100年以上にもわたる品種改良の歴史があるのをご存じですか。
母の日にバラの苗をプレゼントしようと品種を検索していたら、サラブレッドと同じように長い改良の歴史があることに気づき、一気に惹きこまれてしまいました。
サラブレッドの血統の歴史には人間社会にも通じるところがあると以前、記事にしましたが、バラの歴史を紐解いてみると、そこにも驚くほど多くの共通点がありました。
バラとサラブレッドの「次世代へ繋ぐ歴史」を深く掘り下げていくと、現代のビジネス、とりわけ中小企業における「経営者の承継」にとって、重要な教訓が隠されていることに気づいたのです。
それは「目先のトレンドや利益だけを追い求めることの危険性」と「時代を超える哲学や理念を承継していくことの重要性」です。
今回は、サラブレッドとバラの華麗なる生産と育種の歴史を振り返りながら、企業が100年先も生き残るための「事業承継のあり方」について考えていきます。
パールシークレット産駒誕生!そこから見えてくるもの

2025年の冬にパールシークレットという1頭のサラブレッドが日本にやってきました。
このパールシークレット、実は貴重な血を持つサラブレッドなのです。
その宿命を背負い、役割を果たすために日本に足を踏み入れたのです。
パールシークレットは英国産のサラブレッド。
短距離を得意としていて、主な勝ち鞍に英G2のテンプルステークス があります。
主戦騎手が「落鉄がなければ、G1 も勝てていたかも」とのちに語るほど、才能に恵まれた栗毛の競走馬でした。
引退後は、英国にて種牡馬入りします。各世代の産駒の勝率は4割を超えるにもかかわらず、徐々に配合頭数は減少していきました。
近代競走馬の祖先をさかのぼってみると、三大始祖ダーレーアラビアン、バイアリーターク、ゴドルフィンアラビアンのいずれかにたどり着きますが、現在、活躍している競走馬のほとんどが実はダーレーアラビアンの末裔。
他の2血統はかなり押されており、特にバイアリータークは風前の灯火です。
パールシークレットは、まさにそのバイアリーターク系の種牡馬なのです。
奇形の仔馬が増えてきていると感じていた大狩部牧場の社長であり、獣医師でもある下村優樹氏が血の多様性を維持するために導入を決定したとき、パールシークレットは15歳でした。
詳しい経緯はこちらのYouTube動画を是非、ご覧ください。
輸入するのには若い馬が好まれるため、15歳での日本への輸出は異色だったようです。
それから1年以上が経ち、この春には日本での初年度産駒が続々と誕生しています。
大流星やソックス(四肢の白い部分)といった身体的特徴を父から受け継いだ産駒が多く、運動神経もいい仔が多いと下村社長は話します。
ヨーロッパ側の契約に携わったエージェントも「ヨーロッパのパールシークレット産駒も父似の馬が多いよ」と言っていたそうです。
お世辞にも多額の種付料を稼いでいたとは思えないパールシークレットをなぜ導入しようと思ったのか。
下村社長に伺うと、「自分の生きている時代に三大始祖のうちの1系統が途絶えてしまうことを生産者として見過ごすことはできない。獣医師としても、血の多様性は絶対に必要だと考えている」とのことでした。
これはビジネスを超えた、生産者としての「哲学」ではないでしょうか。
下村社長の決断は、日本競馬界における多様性の確保のみならず、「バイアリーターク系の日本での再興」という夢にもつながっているのです。
利益を最大化することが正義とされがちな現代において、自分の業界の未来を見据え、確固たる哲学や夢を追いかけ続けられる経営者はどれくらいいるのでしょうか。
もちろん、企業である以上、お金を稼ぐこと自体は大切なことであり、決して悪ではありません。
しかし、金銭的な利益だけを目的とした経営は環境やトレンドが一変すれば、あっけなく行き詰まります。
企業を今後100年、200年と存続させていきたいのであれば、利益のその先にある「何のために我々の会社は存在するのか」という理念や哲学、「提供する商品やサービスで何を成し遂げたいのか」といった夢が必要なのではないでしょうか。
「売れるマーケティング」によって「売れる商品」をたくさん売る力は、確かに今の厳しい時代を生き抜くには必要不可欠です。
しかし、それだけで後世まで力強く引き継がれていく企業を育てることはできるのでしょうか。
バラとサラブレッドにみる共通点とは?

バラもサラブレッドも、人間の手が介在することで現在の形にたどり着きました。
サラブレッドの歴史は、17世紀後半から18世紀にかけて、スピードに優れたイギリスの固有種にスタミナを持たせるためにアラブやトルコから優秀な馬を輸入し、交配させたことから始まりました。
一方のバラも、古くから世界中で愛されてきました。
その起源は7,000万年前にさかのぼるとも言われており、恐竜がいた時代にはすでにバラは咲き誇っていたことになります。
現在、私たちが花束や花壇で目にする「モダンローズ」と呼ばれるバラは、ベースとなる8種類の主要な原種に、東洋のバラなどを掛け合わせることで誕生しました。
つまり、サラブレッドもバラも、「最初は原種や固有種に、別の優れた要素を持つものを掛け合わせ、より優秀な種を作り出そうとした」ところから始まっているのです。
サラブレッドにはスピードやスタミナといった競走に不可欠な要素があり、バラには花の形、色、香り、耐病性、育ちの早さなどの要素があります。
際立つ特徴を持つ親同士を掛け合わせ、さらに素晴らしいものを生み出そうとしてきた歴史には共通点があります。
さらに興味深いことに、これらの要素には「時代の流行り廃り」がある点もそっくり。
例えば、現代のサラブレッド生産では「スピード」が極端に重視されており、昔ほど「スタミナ」は評価されなくなっています。
バラの育種においても、一時期は花の色や形、香りばかりがもてはやされ、強健性といった他の重要な要素が軽視されがちだった時代がありました。
言い換えれば、馬の血統もバラの品種も、人間のビジネスと同じように「その時代の市場のトレンドや顧客のニーズ」によって、業界の方向性が大きく左右されてしまう宿命にあるのです。
サラブレッドの歴史をざっと振り返る

前章でも触れたとおり、サラブレッドの歴史は英国の固有種にスタミナを備えたアラブやトルコの馬を掛け合わせたことから始まりました。
当時は「三大始祖(ダーレーアラビアン、バイアリーターク、ゴドルフィンアラビアン)」以外にも始祖となる馬が存在していました。
例えば、芦毛(あしげ)の馬の血統をさかのぼると、必ず「アルコックアラビアン」という芦毛の始祖馬にたどり着くと言われています。
しかし、三大始祖以外の血脈は次々と淘汰され、最終的に現在の3頭の父系にまで縮小されてしまったのです。
さらに驚くべきことに、現代の日本の競走馬に限って言えば、99%以上がダーレーアラビアンの子孫です。
そのため、「3大」どころか、「1大」になりつつあるという極端な局面に立たされています。
「過去にいた他の始祖馬の血が途絶えても、速い馬が現代に生まれているのだから全く問題ないのではないか」とおっしゃる方もいるでしょう。
たしかに、目の前のレースに勝つための短期的なスパンでみれば、その通りかもしれません。
しかし、これは「5年後や10年後にどうなるか」という話ではないのです。
「100年後、200年後の日本に果たして健全な馬産を繋いでいけるのか」という超長期的なスパンでみると、ひとつの血統に極端に依存している現状は、決して見過ごせないリスクをはらんでいると言えるのではないでしょうか。
華麗なるバラの育種はいばらの道

次に、バラの育種の歴史をみていきましょう。
クレオパトラやマリー・アントワネットも愛したと言われているバラ。
ヨーロッパでは修道院で薬用として栽培されており、古くから人々の生活に役立ってきた歴史があります。
17世紀から18世紀ごろになると、ヨーロッパの庭造りに美しいバラは欠かせないものとなります。
しかし、当時のヨーロッパのバラは、1年のうち1回しか咲かない「一季咲き」だったため、あっという間にバラの季節は終わってしまいます。
「もっと長く、バラを楽しみたい」。
そう願ったヨーロッパの人々が土着のバラに掛け合わせたのが、中国や日本などから持ち込まれた東洋のバラでした。
東洋のバラは「四季咲き」の特性を持っていたため、掛け合わせるとより長い期間、花を楽しむことができるようになりました。
さらに、ヨーロッパのバラにはなかった黄色の花や花びらの尖ったような咲き方(剣弁咲き)も、東洋のバラがもたらした要素だと言われています。
日本の土着のバラである「ノイバラ」や「ハマナス」もヨーロッパのバラと掛け合わせられました。
特にハマナスは、四季咲きの特性だけでなく、北海道の厳冬の海岸沿いを生き抜くことのできる強健性から重宝されたようです。
こうして東洋と西洋の要素が融合し、バラ育種の歴史にとって転機となった1867年の「ラ・フランスの誕生」を迎えるのです。
フランスの育種家、ジャン=バプティスト・アンドレ・ギヨー・フィス氏が発表したこのバラは、現在の私たちがよく目にする「モダンローズ」の第一号と言われています(これ以前のバラを「オールドローズ」と呼びます)。
一つの要素に偏る「危険性」と育種家たちの「哲学」
こうして幕を開けたモダンローズの歴史ですが、その育種は決して平坦な道のりではありませんでした。
バラには、花の形、色、香り、葉の色や形、耐病性、耐陰性、耐寒性など、様々な構成要素があります。
ここで問題となるのが、一つの要素に注力しすぎると他の要素が軽んじられてしまい、弱い株になってしまうことがあるという点です。
例えば、バラの大きな魅力である「香り」。
「もっといい香りのバラを作ろう」と育種に励んだ結果、強健性が後回しとなってしまい、愛好家には育てるのが難しいバラが増えてしまったという時代がありました。
こうした偏ったトレンドに、世界中の育種家が一石を投じました。
イギリスのデビッド・オースティン氏は、強健性とのバランスをとりつつ、「四季咲き」などモダンローズの長所と「香り」や「カップ咲き」などのオールドローズの長所を掛け合わせ、「イングリッシュローズ」を生み出しました。
それまでは、切り花として重宝される「見た目」が重視されていたトレンドに対して、「温故知新」のアプローチで挑み、長きにわたって愛好家に庭で楽しんでもらえるような育種を進めたのです。
また、ドイツの老舗コルデス社は、クラシックな雰囲気を残しつつも強健性の高いバラを作ることにおいて世界トップの定評があり、無農薬で美しい花を咲かせられる品種をたくさん発表しています。
さらに、気候の違う日本では、日本の風土(高温多湿な夏など)に合わせた強健性も加味された改良が進みました。
ローズクリエイター木村卓功氏の「ロサオリエンティス」は、花形の美しさを保ちつつ、日本の気候に合う育種をしており、無農薬で育てられるほどの強健性を持ち、多様性にも富むプログレッシオシリーズを展開しています。
つまり、優れた育種家の皆さんは、「自分の理想とするバラを表現しつつも、その土地に合った強健性を持ち、決して一つの要素に偏りすぎない、全体としてバランスのとれた後世でも楽しめるバラ」を作り出そうとしているのです。
そこには、トレンドに流されない育種家の「理想」や「夢」、「哲学」が色濃く反映されています。
サラブレッドの生産者も同じです。
「高く売れる馬(現代ではスピード重視)」という市場のトレンドに偏りがちになりそうな中でも、生産者は自らの頭の中にある「体が強くて健全な理想のサラブレッド」を後世に残すべく、信念を抱いて配合を考え続けているのです。
サラブレッドの繁殖とバラの育種の違いから見えてくるもの
このように、サラブレッドの繁殖とバラの育種にはいくつもの共通点があります。
どちらも100年以上の歴史があること。
改良を重ねるために西洋の固有種に東洋の固有種を取り込んだこと。
長い歴史をさかのぼれば、始祖や原種にたどり着くこと。
新たに生まれた命に思い入れのある名前を付けること。
そして何より、結果が出るまでに数年という長い時間を待つ必要があること。
しかし一方で、両者には決定的な違いもあります。
例えば、サラブレッドの繁殖は、基本的に「その都度の勝負」になります。
競走馬は必ず実馬を使った交配でなくてはならないという世界共通のルールがあるため、国内にいる繁殖牝馬と種牡馬を掛け合わせて、無事に受胎して、生まれてくることを祈ることしかできません。
生まれてくるまでは、どんな特徴を持った仔馬が出るのかは分からないのです。
一方のバラは、同じ掛け合わせのなかでいくつも育った苗の中から「自分の理想に近いもの」を選抜できるという大きな違いがあります。
バラの育種は、種子親(母)と花粉親(父)を選び、できた種をまいて苗を育成し、その中から優れたものを選びます。
何種類もの母と父からたくさんの種子を作りますが、「選ばれないもの」の方が多いことは想像に難くありません。
全く同じ母と父から採れた種でも、弱い苗もあれば、強い苗に育つものもあるのです。
また、現代の競走馬生産では「スピード」の要素が重要視されており、血の多様性に陰りが見え始めています。
しかし、バラの育種においては、過去に「香り重視」といったトレンドに偏った結果、強健性を失った品種が多くなってしまったという業界全体の経験があります。
そのため、現在では、見た目や香りだけではなく、強健性も大切にするバランス型の育種が一般的になっているのです。
バラの育種家は、数ある苗の中から何を基準に商品化する苗を決定するのでしょうか。
先述の木村卓功氏は、公式ホームページ上でそれを「ペイフォワード」だと語っていらっしゃいます。
先人たちが作ってきたバラを、さらに魅力的なバラに前進させる。
つまり、先人たちから受け継いだバラを、後進の育種家たちが「未来の育種に使いたくなるようなバラ」へと進化させることが育種のテーマなのだそうです。
木村氏は、こうも述べています。
「今から100年もたった頃のバラの新品種の交配図をさかのぼると、自分が作り上げたバラがそこにあったなら、僕は先人達への感謝を次世代につなげられたことになる」
既存のバラをどうやってさらに魅力的にするかーーそこには、育種家の理想、夢、哲学が反映されているのです。
その理想と哲学が、100年後の育種家へと「承継」されていきます。
企業の「事業承継」に関しても、同じことが言えるのではないでしょうか。
人間社会とバラにみる承継の重要度
法律用語では、事業を引き継ぐことを「承継する」と表現します。
似た言葉に「継承」がありますが、「継承」が身分や権利、財産といった「はっきりと形のあるもの」を引き継ぐことを意味するのに対して、「承継」は理念や伝統、精神といった「抽象的なもの(形のないもの)」を引き継ぐことを意味する言葉だそうです。
法律という事務的手続きの最たる世界において、「継承」ではなくあえて「承継」という言葉が使われていることには驚かされます。
しかし、これは、法的にみても事業承継は、抽象的な概念をも引き継ぐものであるという考えに基づいているからなのかもしれません。
先述のとおり、バラの育種では、競走馬とは違って育種家自らが数多くの苗の中から、強健性などの必要な要素を持ちつつ、自分の理想のバラ像に近いものを選択することができます。
企業における経営の「承継」も同じではないでしょうか。
次期経営者に必須とされる要素はひとつではなく、それは業界や企業の規模によっても異なります。
しかし、極端な一族経営でない限り、現経営者は長い時間をかけて、複数いる候補者の長所や短所、性格や仕事に対する「美学」といった抽象的な要素までをじっくりと観察し、絞り込んでいくことができるのです。
例えば、営業成績が極めて優秀であったとしても、人間としての魅力、誠実さ、あるいは美学といったものが欠如している人物が経営トップに立ったら、どうなるでしょうか。
優秀な会社員として勤めるのであれば、何ら問題はないはずです。
実際に、みなさんの回りにもそういった優秀なプレイングマネージャーは多く存在するのではないでしょうか。
しかし、目先の数字至上主義に走り、従業員の心身や生活を顧みない経営者のもとで、若い世代がついてきてくれるでしょうか。
もちろん、経営者には従業員の生活を守るために業績を上げる義務があります。
だからといって、ただお金を稼ぐだけで満足するのは「経営者」の本来の姿ではないと考えます。
経営者とは、企業にとっての「夢」であり、「哲学」であり、「最後の砦」となるべきなのではないでしょうか。
そもそも「会社」とは?

そもそも会社はどんな組織なのでしょうか。
法的に「会社」とは、会社法に基づき、営利を目的に事業を行う営利法人のことを指します。
つまり、法的には「利益を生み出すための組織」ということになります。
しかし、経営学の権威として有名なピーター・ドラッカーは、利益は経営の条件であることから、利益そのものを目的として経営をすべきではないと述べています。
ここで、会社の歴史を紐解いてみましょう。
世界最古の会社は、日本の「金剛組」です。
四天王寺建立のため、聖徳太子の命により百済から招かれた3人の職人のうちのひとりである金剛重光が創業しました。
現在では、株式会社髙松コンストラクショングループの一員として伝統が引き継がれています。
江戸時代に32代目の当主となった金剛喜定氏は、後世に向けて家訓を遺言として残しました。
その中には「職家心得之事」として、経営者や人としてのあり方、心得などの教えが16か条にわたって記されており、これが現代の宮大工のみなさんにもしっかりと「承継」されているのだそうです。
その16か条には、仏教や建築など家業に関する知見を深めること、読み書きやそろばんなど経営の学びを深めることのほかに、人と接する際の「基本的な心得」について記載があります。
その一部を書き出してみます。
• 世間の方と交際があっても、出すぎないこと
• 配下の者や弟子など、目下の者には深い情けをかけること
• 人を敬い、穏やかな言葉遣いをすること
• 取引先には無私正直に対応すること
• 正直な見積もりを出すこと
• 大酒をしないこと
• 何事も他人と争わないこと
名工であり、経営者としても成功していた喜定氏が、経営者として「他者とどう接するか」をいかに重要視していたかが分かります。
喜定氏は経営者としての誠実さや人間的魅力にあふれた人物だったようです。
また、金剛組は血族で経営者を決めていたわけではありません。
多くの中小企業が親族内承継に悩む現代ですが、金剛組は古くから、腕や人の上に立つ器量を基準に養子を迎えて跡を継がせることもありました。
また、志半ばで亡くなった37代目の後を継いだのは、のちに「なにわの女棟梁」として名をはせる37代目の妻のよしえ氏でした。
このように、能力さえあれば血縁や性別に関係ない、自由で合理的な承継がなされていました。
目に見える血筋ではなく、経営の「哲学や理念」が脈々と受け継がれてきたからこそ、1000年を超えて存続できたのではないでしょうか。
一方、日本初の実質的な「株式会社」として知られているのが、坂本龍馬たちが結社した「亀山社中」です。
(法的に正式な日本初の株式会社は、「会社法」施行後に創業した渋沢栄一の第一国立銀行)
亀山社中はスポンサーから資金提供を受け、長崎を拠点に貿易を生業としていました。
この会社には倒幕という理念があり、その達成のために長崎のグラバー商会と貿易をしながら、薩摩と長州の仲を取り持ち、薩長同盟にこぎつけるのです。
亀山社中には、脱藩した浪人たちが20名程度所属していました。
当時の日本において「どこの藩に属しているか」は、社会的に非常に大きな意味を持っていました。
しかし、脱藩した浪人が集まる亀山社中において、出自はもはや何の意味も持ちません。
語学力やコミュニケーション能力、交渉能力など、完全な能力主義の自由な組織だったと言われています。
その後、土佐藩の正式な外郭団体として亀山社中は海援隊に引き継がれますが、龍馬が暗殺されたことでメンバーは散り散りとなりました。
しかし、組織の形はなくなっても、その理念を共有した仲間たちは、明治という新しい時代の政治や経済の世界で日本の礎を築きます。
単なるビジネスを超えていくもの

このように、会社とは単に利益を追求するだけではなく、サービスや商品を通じて社会に貢献していく組織です。
金剛組は宮大工のプロ集団として社寺の建築や改築に携わり、市中の人々に安寧を祈る場を提供してきました。
亀山社中は、独自のネットワークと行動力によって時代を大きく動かしました。
企業が存続していくうえで利益を追求することは当然、重要です。
ただ、そこに偏りすぎるのは危険です。
「売れるマーケティング」
「再生回数を稼げる動画」
SNSがマーケティングの覇権を握る現代では、こういった商品やサービスを売るためのスキルは必須かもしれません。
「ものを売る」といった短期目標を達成するためのツールは、結果が「数字」としてすぐに現れるため分かりやすく、社内でも共有しやすいという魅力があります。
しかし、経営者がそれだけに頼ってしまうのは危険です。
いつしか「数字だけを追い求める経営者」に陥ってしまう危険性をはらみます。
売上をなかなか上げられない営業担当の従業員を脅すような、ハラスメント経営を生んでしまうかもしれません。
さらに変化の速い現代において、既存のサービスや商品、またそれを売るためのマーケティング手法が、いつまで通用していくかは誰にも分からないのです。
だからこそ、経営者の役割は、前の代より自分の代で少しでも会社を前進させ、100年後も通用する経営理念を確立・承継し、未来に向けて「さらに前進するための種を蒔くこと」にあるのではないでしょうか。
そのためには、いつの時代も変わらない理念や哲学、夢といったものを、経営者自身が従業員に示し続ける必要があります。
何のために、このサービスを売っているのか
どういう思いがあって、その商品を開発したのか
従業員には、どういう人生を送ってほしいのか
後任の経営者には、その経営理念や哲学を体現できる人材を選ぶ必要があるのではないでしょうか。
稼ぐ能力に加えて、人間的に魅力的で、夢や哲学をしっかり持っており、人望が厚く、人の上に立つのにふさわしい人物です。
現経営者は、そうした役割をこなす能力を持つ後任候補を、時間をかけて見抜かなければなりません。
営業や管理が上手な従業員であっても、経営者に向いているとは限らないからです。
優秀な人材の仕事の進め方を、売上のような目に見える数字以外の部分で評価し、育てていく。
それは、自分がトップとして経営をしている間には結果すら出ないかもしれない、バラの育種のように厳しくて長い戦いです。
経営者の承継にみる栄枯盛衰
短期的な結果を求められることの多い日本社会では、経営者の選出ミスによって会社が傾いてしまったという話をよく耳にします。
海外では「マネジメント(経営)」と「現場の実務」は全く別のスキルであるという考え方が主流ですが、日本の場合は、営業などの花形部署で数字を上げた「やり手社員」をそのままトップに登用するパターンが少なくありません。
しかし、目先の「稼ぐ力」のみを重視して後継者を選んでしまった場合、市場のトレンドが急変するような大きなイベントが発生すると、変化に対応できなくなる恐れがあります。
また、長く続く企業であれば、時にはミスや不祥事が発生することもあるでしょう。
その際、逃げずに誠実な対応ができるかといった企業の姿勢は、経営者の「人間性」に強く依存します。
つまり、経営者には稼ぐ能力と同等かそれ以上に立場にふさわしい人柄や自身の経営における夢や哲学を従業員と共有して体現していく力が求められるのです。
とはいっても、大企業でさえ後任の経営者選びは難しいようです。
例えば東芝をみてみましょう。
東芝の創業者は、天才エンジニアだった「からくり儀右衛門」こと田中久重氏と、日本初の白熱電球を実用化した藤岡市助氏です。
二人とも、西洋の技術を独自に研究し、「日本を明るく豊かな国にしたい」という熱い情熱を持った技術者でした。
そのイノベーションスピリットは後継者にも承継され、東芝は日本初の扇風機、アイロン、カラーテレビ、電気洗濯機、掃除機といった家庭に根ざした画期的な商品を次々と開発していきます。
世界初のラップトップ型パソコンやDVDプレーヤーも東芝が生み出したものでした。
まさに創業者2人の夢を一つずつ実現していくかのような勢いで、世界に羽ばたく企業へと成長していったのです。
ところが2015年、内部告発により東芝の不適切会計が明るみになります。
第三者委員会によると、計7年間で1,500億円を超える不適切会計が行われていたとのこと。
当時の田中久雄社長、前社長の佐々木則夫副会長、前々社長の西田厚聡相談役といった歴代のトップが辞任する事態となります。
社長が3代にわたって現場へ直接、圧力をかけて「経営判断」として不適切会計を指示していたと結論づけられたのです。
そもそもの原因は、アメリカの原発大手ウェスチングハウス社の買収による損失でした。
経営のミスであったのにもかかわらず、損失の穴埋めのために「チャレンジ」と呼ばれる無謀な利益目標を従業員や現場に課したのです。
トップが刷新された後も東芝の混乱は収まらず、2023年にはついに上場廃止となり、上場企業としての74年の輝かしい歴史を棒に振ることになってしまいました。
なぜ、このような事態に陥ってしまったのでしょうか。
その一因に「後継者選び」があったのかもしれません。
不適切会計が始まったとされる時期に社長だった西田厚聡氏を選んだのは、東芝初の私大出身で2代前の社長だった西室泰三氏でした。
西田氏が社長に選ばれた大きな理由の一つは、西室氏と同じ「早稲田大学出身」であり、「国際営業で優れた手腕を発揮した」という共通項があったからではないかと言われています。
さらに、西田氏の後任である佐々木則夫氏も同じく早稲田大学出身であり、やはり西室氏の意向が働いたのではないかと言われております。
この3代にわたって不適切会計が「承継」されてしまいました。
果たして、「学歴」や「出身校」といったものは、経営者として本当に必要な要素だったのでしょうか。
これは決して大企業だけの話ではありません。
中小企業でも「自分と出身地が同じだから」、「現場で一番売上を上げてくるエース社員だから」という理由だけで後継者に据えた結果、数字至上主義がはびこり、企業理念や哲学のもとで腕を磨いてきた古参の従業員が次々と辞めてしまい会社が傾くというケースは珍しくありません。
もちろん、業界や国、文化によって、企業に求められる要素は多少、違うはずです。
それでも、人間が大きく変わらない限り、「100年続く会社に求められる根本的な要素」はどこの国でも、いつの時代もそう大きくは変わらないのではないでしょうか。
こうした様々な業界の承継のあり方から多くのことを学ぶことができるはずです。
まとめ

バラの育種は様々なトレンドを経て、バランスの取れたフェーズへと進んでいます。
見た目の美しさや色の珍しさ、香りといった要素だけにとらわれるのではなく、「耐病性」「耐虫性」といった原点にある要素も大切にする育種が主流です。
それは育種家が日々、試行錯誤を重ねて、「何十年、何百年後も、自分の生み出したバラを愛好家に長く楽しんでほしい」という哲学や夢を大切にした結果、原点にあった最も基本的で大切な要素に立ち返ることができたからです。
サラブレッドの生産においても、同じことが起きつつあります。
生き物としての「健全さ」を第一に求め、「高く売れる馬」のトレンドからあえて外れた血脈を積極的に取り込んだり、アウトブリード(5代以内に共通の祖先を持たない配合)による多様性を重視したりする生産者も出はじめているのです。
もちろん、企業にとって「稼ぐ力」がなければ組織を存続させることはできません。
しかし、その「稼ぐ力」は、あくまで「今のトレンドが続いているうち」という条件付きの力にすぎません。
世界の人々の生活が一変してしまうほどの大きなパラダイムシフトが起きたとき、目先のトレンドに頼りすぎた組織は、あっけなくその力を失ってしまいます。
しかし、企業の中に「絶対に変わらない根本的な理念、哲学、夢」といったものが、しっかりと根付いてさえいれば、組織はその「大切な要素」を軸に時代に合わせて柔軟かつ迅速に自分たちの形を変え、生き残っていくことができるはずです。
それこそが次世代の経営者へと「承継」していくべき、重要なバトンなのではないでしょうか。
みなさんの会社には、未来へ繋ぐための「どんな要素」が必要でしょうか。
そして、100年後の未来に、どのような夢や哲学を「承継」していきたいですか?
移り変わりの激しい時代だからこそ、目先の数字と適切な距離を保ちつつ、会社の原点と未来について考えてみませんか。
